2013年6月1日 木曽路を真面目に回ってみることにした。 社員旅行で2度ほど訪れたことがあるのだが、いつも、団体さんということで、ろくに案内もされずに放り出される。 そのうえ、社員旅行というのは、観光よりお酒が優先する旅行であるため、下調べもしていない。 どこを見るべきなのか全くわからずに、通り過ぎてしまった印象が強く、記憶に残っていない。 今回は、二泊三日で、回りきれるだけ回ってみることにした。 早くの梅雨の走りかという雨模様が続き、一時はどうなることかと思っていたのだが、梅雨がずる休みをしたらしく、 晴れの出発となった。 |
![]() <<奈良井宿>> |
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<<是より南・木曽路>> 長野自動車道の塩尻インターを出て、国道19号に入る。 市街地を抜けて、山道らしくなってきたところで、道端に「是より南木曽路」の碑がある。 道端にわずかな空き地があって、そこに碑が立っている。駐車場も何もなし。道端に車を停めてカメラにおさめる。 |
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<<贄川関所>> まずはとっかかりの贄川宿(にえかわ)。 贄川の駅に車を停めて、国道沿いを300mほど歩き、贄川の旧町並みに入る陸橋の角に、関所跡がある。 ここにも、2-3台の車が停まれる駐車場があったが、気持ちのいい朝のため歩くのが苦にならなかった。 |
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<<贄川のトチ>> 町中はパスして、車で国道を行くと、観光客専用の駐車場が目に付いた。 といっても、道端の空き地をきれいにしてあるところで、地元の方のお墓が脇にあるような場所であった。 ここから山の方に、大きなトチの木がある。 民家の庭先を抜けて、木の根元(写真の白い柵の付近)まで近づくことができる。 周囲9m、高さ25m、樹齢1000年といわれる。 |
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<<奈良井宿>> 奈良井宿は、一日目のメイン。 道の駅の駐車場に止めて、ゆっくりと回る予定。 川を渡り、線路の下を地下道でくぐり、古い町並みの区域に入る。 |
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<<奈良井宿:二百地蔵>> 八幡宮の方に向かうと、石段の途中からわき道があり、10mほどの杉並木が続く。 その先に、社と、お地蔵さんの集団が現れる。 写真好きにはたまらない雰囲気。でも、構図としては難しい。 変にこだわらずに、正攻法で、真正面からお地蔵さんと見つめてみた。 (実際には、お地蔵さんではなく、観音様の石仏が多いそうだ) |
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<<奈良井宿:町並み>> おなじみの古い町並み。 ほとんどの家の軒先に、表札と屋号の札が出ている。 お店をやっていない家にも、同じように屋号が出ているのに感心。 妻籠や馬籠でも気にしてみたのだが、お店以外では、出ていなかった。 <<奈良井宿:大宝寺>> 参道の傍らに七福神が。 少し異国風の顔立ち。まだ新しいようで、マリア地蔵にちなんで異国風に作ったのだろうか? ちょうど、法要の真っ最中で、本堂からお庭には入れなかった。 <<奈良井宿:マリヤ地蔵>> 本堂脇の路地を入ったところに、首のない石仏が祀られている。 昭和7年に掘り出されたという。 こういった古いお寺にあるものとしては、最近の出来事と言える。 抱いている童子が持っているハスの花の先が、十字になっていることから、隠れキリシタンが観音像の姿を借りて、 キリストを抱く聖母マリア像を作ったのではないかとされているという。 ![]() 首のないのが、可哀そうではある。 <<奈良井宿:鍵の手>> わざと曲がり角を作り、軍隊が一気に流れ込んでくるのを防ぐ意味合いを持っているとか。 水場や、道祖神もここにある。 |
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<<奈良井宿:鎮神社>> 奈良井宿の南のはずれ。 右側の手前に高札場があり、その隣に水場。奥の赤い建物が、鎮神社の拝殿である。 ![]() この神社は、鳥居の正面に木が一本立っており、拝殿はその奥にある。 この木が、神木であるのはわかるのだが、鳥居−神木−拝殿−本殿の順になっているのが、面白い。 ここでお昼。ここは蕎麦の名産地でもあり、ざるそばを食べた。 隣の席では、グループでみえている方が「とうじそば」を注文していた。 鍋で具を煮ているところへ、蕎麦をしゃぶしゃぶして食べるようだ。このお店の名物? |
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<<奈良井宿:木曾の大橋>> 国道沿いにあり、奈良井宿のシンボル的な太鼓橋。 総ヒノキ造りということで、美しい形を見せている。 |
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<<宮ノ越宿:巴ケ淵>> 国道19号から宮ノ越宿の徳音寺方面に入る道にはいって、すぐのところに巴ケ淵という場所がある。 川の曲がり角になっていて、水の流れが緩くなっている場所である。 ご覧のように、濃い青のなんとも言えない深い色をしている。 このあたりは、木曾義仲が若き日を過ごした場所であり、この巴が淵にも巴御前の伝説が残っている。 |
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<<宮ノ越宿:義仲館>> 奈良井や妻籠といった有名な宿は人がかなり出ているのだが、そこを外れるとほとんど人が出ていない。 義仲館にもほかに人はいなかったが、ここは一見の価値のある場所であると思う。 昔の何があるということではなく、義仲の一生について、絵や地図を使ってわかりやすく説明されているということと、 関係する土地の現在の状況が、関連付けられて展示されているということである。 昔から、木曾にいた義仲がなんで倶利伽羅峠(富山と石川の境)を通ったのかということが不思議だったのだが、 ある意味で、理解できたような気がする。 それから、木曾一族の系図が展示されていたのだが、木曾義仲以前は清和源氏の流れであるので、よくあるものだが、 木曾義仲以降、盛衰を繰り返し、最近まで家系が続いているということである。ちょっとびっくり。 |
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<<宮ノ越宿:徳音寺>> 徳音寺は木曾義仲の菩提寺であり、「木曾八景:徳音寺の晩鐘」で有名なお寺である。 ということで、鐘はどこにあるのだろうと探したが鐘楼らしきものがみつからない。 ハッと思って、山門を見上げると、階上に鐘があった。 |
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<<宮ノ越宿:木曾義仲の墓>> 正面奥が、木曾義仲の墓。 木曾義仲の墓は、ゆかりの地にたくさんあるようで、この日ももう一か所回ることになる。 |
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<<道の駅日義木曽駒高原>> 道の駅に、木曽路の中間地点の石碑(右側の石柱)がある。 晴れていると、山の向こうに木曾駒ヶ岳が拝めるそうな。 ここが、「木曾八景:駒ケ岳の夕照」。 雨こそ降っていないが、だいぶ雲が多くなってきた。 |
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<<木曽福島宿:福島関所>> 木曽福島が近くなり、国道がバイパスと市内方向とに、分岐する。 市内方向に向かうと、すぐに福島の関所跡になる。ちょっと先の、町の駐車場に車を停め、関所に向かう。 関所は坂の上。かなりの階段を上る。 昔は、この関所のあるところが街道筋であった。 崖の下(写真の右側・今の道があるところ)は、川の岸で、ほぼ通行不能のようであった。 木曽福島にはもう一か所、ここの関所の代官であった、山村氏の代官屋敷跡が、史跡として残っている。 |
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<<木曽福島宿:興禅寺>> 興禅寺は、先に話のあった山村代官の菩提寺で、想像以上に広いお寺であった。 宝物館には、現代工芸の名品が飾られており、日本の技術はまだまだ素晴らしいものがあるのだと実感させられる。 というより、その見事さに圧倒されてしまう。 庭は庭で、大きな石庭があり、回遊式庭園がありということで、飽きることがない。 この木は、時雨桜と名がついており、しだれ桜の大木である。 |
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<<木曽福島宿:木曾義仲の墓>> ここにも、木曾義仲の墓があった。 (正面奥の柵の中) 山頭火の句碑 「さくらちりおえたるところ、旭将軍の墓」 携帯カメラの容量が一杯になり、最後の方はほとんど撮れていない。 今日は、木曽福島で一泊。 |