2014年8月31日 見たいと思っていた博物館の特別展の期限が8月末に迫っているという娘と、温泉に行きたいという奥さんの、 両方の願いをかなえるため、一泊二日で長距離を走ることになった。博物館は福井県立歴史博物館、温泉はあわら温泉、とうことで、 それぞれの希望通りに出発した。 |
![]() <<越前丸岡城>> |
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<<あわら温泉>> 博物館経由で、ホテルには夕方の5時過ぎに到着。 久しぶりに、温泉でゆっくりできそう。 大浴場もきれい、露店風呂もまずまず。食事も海鮮モノ中心で、多からず少なからずで、年寄り向きかな。 惜しむらくは、朝食のブッフェにコーヒーがなかったこと。 ロビーでいつでも飲めるようになっているとはいえ、食後だけのものではなく、食事の場所にも必要であると思うのだが・・。 |
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<<丸岡城>> 現存12天守の一つで、最古の天守閣である。 正面の長い石段は、黒澤明監督の「乱」のお城を思い出してしまった。 平野の真ん中の小高い丘の上に城が築かれている。小振りではあるが、均整のとれた、見栄えのする姿をしている。 |
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<<丸岡城:最上階>> 四方に広く突き上げ窓があり、一段高くなっているが、まわりを回廊が巡っている。 構造的な話をすれば、いろいろと特徴があるのだろうが、現存天守(当時のままの建物)であるため、 戦国時代の息吹が感じられるたたずまいである。 |
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<<丸岡城:二階>> 階段は勾配が急で、ほとんどはしごと変わらないくらい。そのため、ところどころに結び目のつけられた縄がたらされていて、 それを掴んで昇り降りするようになっている。−かえって、はしごのつもりで昇ったほうが楽に登れる気がする− |
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<<丸岡城:一階>> 石落とし用の出窓や、狭間などの工夫がされた、一階の壁周りである。 |
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<<丸岡城:石落とし>> 徳川家康の家臣、本多作左衛門重次は、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の手紙で有名であるが、 この手紙中の「お仙」こと、本多成重が、この丸岡城の初代の城主である。 その後、元禄年間以降は有馬氏の居城となる。 |
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<<東尋坊>> 例によって駐車場に迷ってしまう。こういうところの、業者の無料駐車場はあてにならない。 それなりのお金はどうしても出てしまうので、なるべく公営の駐車場を使うことにしている。 今日も、遠くて高いが、市営の駐車場が早々に見つかったので、ここに車を停めることにした。 この場所が、商店街の最後で、ここから先が東尋坊。向こうに見える島が雄島。 |
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東尋坊とは、安山岩の柱状節理の岩壁が続く海岸のことで、 名前の由来は、昔、この断崖から突き落とされたお坊さんの名前とのことである。 だけど、われら庶民にとっては、テレビのサスペンス劇場の最後で、犯人が白状する断崖が思い浮かぶ。 |
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海岸沿いに奇岩・断崖等の絶景を眺める遊覧船がある。 一周30分程度で、客が集まると不定期で運行しているので、待ち時間も少なくお手軽に利用できる。 確かに、断崖は上から眺めるのではなく、横(この場合は海)の方から眺めた方が、その全体をつかめそうである。 |
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早速、船に乗り、列の先頭で真っ先に乗り込むことができた。 左右どちらの席の方が景色が楽しめるか確認したところ、左側の方がよいとのことで、左側に座る。 これは、雄島の断崖。島の右側の断崖布巾に、オーバーハングになった、通称、ハチの巣岩がある。 |
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水清く、海あくまで青い。 |
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船から降りて、海岸沿いの岩場を散歩。失敗した、スニーカーを履いてくるんだった。足場がよろしくない。 ここには、変な柵がなく、断崖の端まで近づくことができる。自殺の名所とは言いつつ、よく事故が起こらないものだ。 |
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