2015年5月28日〜31日 今回の旅行の目的は三つ。 1番目は、宮沢賢治の故郷を訪ねること。 2番目は、三陸海岸の縦断。 3番目は、東北大震災の震災後の姿を目に残すこと。 目的ごとに整理してみる。 宮沢賢治は、花巻の出身で、教育者として多くの若者を指導する傍ら、小説や童話や詩の創作を行った。 ももクロの主演映画、そして初舞台作品となった「幕が上がる」の中で、演劇部員たちが劇中で演じるのが、 宮沢賢治原作の「銀河鉄道の夜」であり、主要テーマは共通しているように思われる。 今回は、その宮沢賢治の故郷を訪ね、作品の生まれた世界を体験しようと考えた。 |
![]() <<未来都市銀河地球鉄道壁画>> |
![]() ![]() ![]() |
<<宮沢賢治先生の家>> 花巻空港のすぐ隣、花巻農業高校の敷地内に、宮沢賢治が実際に暮らした家が移築保存されている。 昼間は農業に従事し、夜には近隣の若者をこの家に集めて私塾を開き、農業技術などを教えた。 玄関わきの黒板には、「下の畑に居ります 賢治」の文字が残され(実際は、弟さんの字)、保存されている。 ![]() 広い敷地は、一般に開放されている。 そんなに観光客が多いということでもないと思うのだが、すみずみまで、きれいに整備保存されている。 賢治に対する地元の人々の敬愛の念を感じる環境である。 |
![]() |
<<宮沢賢治像>> 同じ敷地内に宮沢賢治の銅像が立っている。 有名な、農地を視察する写真をもとにしたと思われる像である。 あまりに芝生がきれいに整いすぎて、中に入ることができなかった。 アップで撮りたかったところ。 |
![]() ![]() ![]() |
<<宮沢賢治記念館>> 小高い丘の上に、宮沢賢治記念館がある。 すぐそばには、童話村や、イーハトープ村などの施設もある。 全部というわけにもいかないので、記念館だけお邪魔することにした。 作品の自筆の原稿(複製)にも、数多く触れることができた。雨にも負けずの小さな手帳も・・。 割と丸文字じゃね?などと、失礼な感想も・・。 賢治は作品を発表した後でも、作品に手直しするということで、一生自分の作品として磨きをかけていたのかと感じた。 また、「銀河鉄道の夜」の特設コーナーもあり、4次にわたった大規模な改稿の後をたどって、 どのような内容の手直しがされたのかが、解説されていた。 |
![]() |
<<宮沢賢治詩碑>> 「雨ニモ負ケズ」の詩碑である。 詩の後半部分である「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ・・」以降が、高村光太郎の筆によって、碑に刻まれている。 この碑の下には、遺骨と経文が収められているということである。 |
![]() |
ここは、このページの先頭に載せている賢治の家があった場所であり、下の畑を望むことができる。 写真の正面の道路に囲まれたあたりが、下の畑である。ただ、現在は畑ではなく、水田になっているということである。 畑の向こうが北上川であり、晴れていれば、遠くに早池峰山や薬師岳を望むことができる。 |
![]() |
<<未来都市銀河地球鉄道壁画>> この壁画を見るために、花巻市内それも駅前に宿をとった。 花巻駅前の道を北に少し行ったところに、高さ10m、幅80mにおよぶ壁画がある。 昼間明るいときはほとんど何も見えない。 暗くなるとブラックライトが当たって絵が浮かび上がる。 はじめは時間が早すぎたのか何も見えず、こんなものなのかと思ったが、時間が来てライトが灯ると、壮大な宇宙が現れた。 思っていた以上に明るい。普通に車が通るのだが、車のライトに負けることもない。 夏期は、7:30から22:00までが点灯時間である。 |