2016年7月12日
梅雨の合間の短い晴れの一日。雨空つづきにうんざりしていた気分が、一転した青空を見て矢も楯もたまらなくなり、 準備もそこそこに車に乗ってしまった。かねてから西会津を中心として行先を調べていたのだが、 その中で、ちょっと会津からでは遠いかなと思っていた三石神社に行くいい機会かなと思い、六十里越のコースを行くことにした。

三石神社
<<三石神社:一の岩>>

六十里越
<<六十里越:田子倉湖>>
新潟県中越地方(魚沼市)と福島県南会津地方(只見町)を結ぶ峠越えを六十里越と言い、現在は国道252号線が走っている。 県境の六十里越トンネルを抜けると、眼下に田子倉湖が、尾根に沿った複雑な形状を見せてくる。

ドライバーの立場でいうと、国道で片側2車線ありカーブもそれほどきつくなく、田子倉ダムという達成感もあるため、 走りやすい道である。 ただし、豪雪地帯を通るため、冬期間は閉鎖される。

六十里越
<<六十里越開道記念碑>>
田中角栄の筆だそうだ。

あと少しで田子倉ダム。

六十里越

<<六十里越:若宮八幡>>
田子倉ダムが作られた際に、ダムの底に沈んだ田子倉集落の鎮守神。

しずかなダム湖を見ていると、以前に訪れた群馬県の吾妻渓谷が八ツ場ダムの下に埋められることを思いだしてしまった。 もう工事は進んでいるのだろうか。時代が違うし、果たして今の時代に必要だったのだろうかという思いが強くなる。

時代の要請があったのだろうが、田子倉の集落の歴史がよくわかる碑があったので、全文を載せる。

=若宮八幡神社碑文(写し)=

 この湖の底に私たちのふるさと田子倉がある。総面積一 万六千ヘクタールの広大な土地に、五十世帯・二百九十人が 住んでいたが、昭和三十四年四月六日、田子倉ダムの湛 水によって、宅地・水田・畑の全面積と、原野・山林を含 めて、およそ一千ヘクタールが水没した。
 田子倉の発祥については明らかでないが、矢の根石が発 見されており、中世には武家領となって鎌倉幕府の支配下に はいったものと思われる。江戸時代には口留番所が置か れて会越国界の守りとされた。
 私たちの祖先は若宮八幡を勧請して村の鎮守神とし、堰 を上げて田畑を起し、道路を開いて交易の便をはかり狩 猟や漁労を行いながら部落共同体を形成してきた。幸にも 土地は肥えており林産物や山菜にも恵まれ、地下資源の 採掘されたこともあり、人々の生活は豊かであった。明治 初年の地租改正、同二十二年の町村制施行、その後の林野 統一を経て広大な民有林を確保した。



こうした先人の英知 は後に田子倉施業森林組合を組織し、林業の近代的経営の 道を開き、昭和二年六十里峠に幅三メートルの林道を開通 させた。これが国道二五二号線の前身である。また地域内 河川に村内唯一の内水面漁業権を獲得して、マス・イワナ 等の自然増殖をはかり、部落の発展に大きく結びついた。
 第二次世界大戦後、荒廃した日本経済復興のため只見川 電源開発は国策として決定され、田子倉ダムの建設はその 中心としてとりあげられた。私たちはこの国家的要請にし たがい、全戸移転のやむなきにいたり、それぞれの地に第 二の故郷を求めて四散した。
 あれから十五周年、私たちは田子倉の由来と先人の業績 が歳月とともに流れ去るのを惜しみ、みんなの手でこの碑 を立てて子孫に伝え、互の心を結ぶきずなとする。

 昭和四十八年十一月三日 田子倉移転者一同

田子倉湖
<<田子倉湖>>
写真の右端に見える屋根が、若宮八幡である。

田子倉湖




田子倉ダム
<<田子倉ダム>>
只見川は、群馬福島の両県にまたがる尾瀬沼に源を発し、一旦西流して新潟県を通り、 福島県に入って北に向かい、喜多方付近で阿賀野川に合流する。 田子倉ダムは、この只見川に作られたダムである。只見川水系には、この上流に奥只見ダムがあり、下流に只見ダムなどがある。

田子倉ダム

堰堤から下流方向を望む。先に只見ダムがある。

田子倉ダム


只見ダムから、田子倉ダムを望む。先ほどの田子倉ダムから一気に下って一息つくと、すでに只見ダムの堰堤についている。 ほんのわずかな距離で、遠景で直接望むことができる。

三石神社
<<三石神社>>
突然鳥居がある。 この林の中に入ると、すぐ山道を登ることになる。 山の名を要害山という。標高は700mほど。神社−というかご神体の岩−は、その中腹にある。

左に見えるのは、只見スキー場。

三石神社


こんな山道が続く。一人がやっと通れる道ではあるが、道がはっきりとしているので歩きやすい。 人が誰もいないので、少し心配になる。 5分ほどで、名水−縁結びの清水に着き、のどを潤し、少しホッとする。



三石神社

三石神社





三石神社

<<三石神社:一の岩>>
三石神社は、その名の通り、三つの岩を磐座(いわくら:神が鎮座するところ)としている。 全国に何か所か三石神社というのがあるが、いずれも奇岩や巨岩が三つあることから名づけられているらしい。

一の岩は先ほどの清水から5分ほどでたどり着く。 この岩に空いている穴に頭を入れると賢くなると言われている。



<<三石神社:縁結びの岩>>
一の岩から道が二手に分かれ、それぞれに縁結びの岩と涙岩がある。
縁結びの岩

このように岩に空いている小さな穴に糸を通して結ぶと縁が結ばれるという。 神社自体が縁結びの御利益があると言われている。

この岩には、岩に押しつぶされそうではあるが、お堂が建てられている。



<<三石神社:涙岩>>
常に岩から水が染み出ているため、岩が涙を流しているように見えることから名づけられた。