2016年11月5日
 いろいろと会津の観光地を調べているうちに、達沢不動滝を知った。猪苗代湖の先、磐梯山のふもとにある。 ここだけを目的地とするのであればそんなに遠くはないのだが、行き帰りにあちこち寄り道を考えていると、 時間が足りなくなってしまう。

 天気予報で晴れを確認して、朝早く家を出ることにした。

達沢不動滝
<<達沢不動滝>>

西会津PA

<<西会津PA>>
朝早かったこともあり、新潟・福島の県境は霧が発生し、ちょっと幻想的な気分。 紅葉も、いまいちの感じ。

熊野神社
<<熊野神社>>
まずは、長床の銀杏の紅葉(黄葉?)状況を見ることに・・。 ここには大銀杏の木があり、黄色い葉が一面を彩るという。

熊野神社

<<熊野神社:大銀杏>>
残念ながら、少し早かった。緑の葉の色が、少し黄色くなっているような気もするが、黄葉とまでは言えない。 でも、この葉がすべて黄色になったらすごいだろうなと思わせるほど、量が多い。

北山薬師漆大正寺
<<北山薬師漆大正寺>>
会津五薬師とよばれるものがある。東西南北と中央の五か所にあり、ここは、その中の北、北方薬師にあたる。

ちなみに、
   東:慧日寺、
   西:調合寺(上宇内薬師)、
   南:慈光寺、
   中央:勝常寺、
である。

北山薬師漆大正寺

一番、場所の特定に手間がかかった。道のもう少し先を指している資料もあったのだが、 今日はたくさん回ることもあって、名の通っている方にさせてもらった。

歴史のあるお寺らしく、山腹に苔むしたお墓が不規則に並んでいる。

北山薬師漆大正寺

ところどころ、きれいに赤く染まっている。おりからの霧もまだ残っていて、コントラストをなしている。

北山薬師漆大正寺




五色沼
<<五色沼(柳沼)>>
達沢不動滝へ行くために、磐梯高原を越えることにした。 漆から磐梯山を上って檜原湖、レイクラインを抜けることにした。

桧原湖畔の、五色沼周遊路の入り口を覗く。

ここからしばらくは、紅葉の真っ盛り。

五色沼




達沢不動滝
<<達沢不動滝>>
途中でわき道に入り損ねた。すぐ気付いたので大事にはならなかった。 その後は、ほとんど一本道でわかりやすかったのだが、途中から車一台分の幅の砂利道になってしまい、少し不安に。 看板がなければ、引き返したくなるような感じ。

ところが、駐車場らしきところに行くと、20台近く車が停まっていて満車状態。さらに奥に行くと、奥の駐車場も満車に近く、 畏れ多くも、鳥居の下に突っ込んでいる車もあった。

達沢不動滝


鳥居から滝壺までは、歩いて5分ほど。 途中は、山道とはいえ、そして、特に手が入っているようには見えない(土止めとか敷石とかが見えない)のに、 幅広の歩きやすい道が、せせらぎに沿って続いている。

川までの距離が近く(物理的にも心理的にも)、川岸に降りたくなってしまう。 実際に、紅葉を撮りに、川の中に入っている人もいた。

達沢不動滝
<<達沢不動滝:男滝>>
きれいな滝である。岩の表面を流れ落ちる様は、袋田の滝に通じる趣がある。

季節ということもあり、アングルに凝るカメラマンが、場所を競っていた。

正面の大きな滝を男滝、脇の小さな滝を女滝という。

達沢不動滝

<<達沢不動滝:女滝>>
圧倒的な存在感を持つ男滝と比べて、女滝は林の中に隠れたようにひっそりと流れ落ちている。 それとわかるような案内がないと、気がつかないほど

達沢不動滝

滝の前に不動尊をかたどった石碑があり、剣を立てている。 脇には、小さな祠もある。

達沢不動滝


川はこんな感じ。何も手の入っていない雑木林のようだ。

見祢の大石

<<見祢の大石>>
明治の磐梯山の大噴火の際に、山上火口にあった巨石が、火山泥流で押し流されここまでたどり着いたもの。 今は、民家の庭先にある。

磐梯山火口から約5キロの地点になる。

史跡慧日寺跡
<<史跡慧日寺跡>>
慧日寺は、平安時代の初めに徳一大師によって開かれ、中期に最盛期を迎えるが、その後の度重なる戦乱によって堂塔を失った。 江戸時代には歴代の会津藩主の庇護を受けたが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となった。 盛事の遺構がよく保存されていたため、現在は、国指定の史跡慧日寺跡として、整備されている。

大正の初めに廃寺跡に再興された寺は、恵日寺として、慧日寺跡と区別されている。

史跡慧日寺跡
<<史跡慧日寺跡:再建仁王門と金堂>>
仁王門と金堂が再建され、往時の朱塗りの堂宇を甦らせている。

さらに、金堂に安置される木造薬師如来坐像の復元も進められている。

史跡慧日寺跡


好きな構図。向こう側に、都合よく、色づいた枝が見える。

史跡慧日寺跡
<<種まき桜>>
樹高15m、幹回り5m。 かつては、この付近で、この桜の花が咲くのを待って種もみをまく風習があったことから「種まき桜」と呼ばれたという。

この地方だけの風習なのかどうかわからないが、一帯に「種まき桜」という木が、何本かある。

史跡慧日寺跡
<<史跡慧日寺跡:徳一廟>>
慧日寺を開いた徳一大師の廟。お墓とされる石塔が中にある。

徳一大師は、奈良時代末から平安時代にかけての人で、同時代の最澄や空海と並ぶ偉人である。 最澄との仏教教義に関する論争や、空海の密教に対する批判などで、世に名を残している。

林を抜けた、見晴らしの良いところに、覆い屋が建っている。 左右には、お弟子さん(?)の墓が並んでいる。

史跡慧日寺跡
<<史跡慧日寺跡:薬師堂>>
会津五薬師の内、東方薬師。

再建された金堂と小道を挟んで、薬師堂・仁王門、さらに道を挟んで、不動堂が並んでいる。 復元途中である金堂付近とは異なって、深い林の中に点在するお堂に落ち着きを覚える。

史跡慧日寺跡
<<史跡慧日寺跡:仁王門>>


史跡慧日寺跡

<<不動院龍宝寺不動堂>>


史跡慧日寺跡

<<恵日寺:本堂と山門>>
現在の恵日寺の山門と本堂。 廃寺となった慧日寺の旧塔頭の一つで、江戸元禄年間の建立と伝えられる。

恵日寺
<<瑞光寺公園からの円蔵寺>>
9月に行ったばかりの円蔵寺ではあるが、川の対岸の瑞光寺公園からの眺めが良いとの話を聞き、 早速訪れてみる。というか、帰り道の寄り道に丁度良かった。

眺望はご覧の通り。 ただ、木が生い茂って邪魔をしており、すっきりと見通せない。展望台もあるのだが、電線が目の前を横切っているため、 写真として満足のいくものが撮れなかった。

恵日寺

<<瑞光寺公園>>
公園自体は、山の上にあり、雰囲気はいい。ただ、雑草が茂っていてゆっくりできない。残念なことである。