2017年5月14日
会津の五桜制覇を目指して、最後が大鹿桜となった。 猪苗代町ということで、桜の時期が一番遅い。例年は、五月の上旬〜中旬となっている。 遠方でもあり、時間がないこともあり、日曜でもあり、今日はここ一か所の狙い撃ちになる。

それにしても、今年は暦の巡り会わせが悪く、休みの日は雨になり、ために晴れても桜の開花時期とずれて、 ピッタリのタイミングでお花が見れなかった気がする。

磐椅神社大鹿桜
<<磐椅神社:大鹿桜>>

磐椅神社

<<磐椅神社:入口>>
土津神社前の駐車場の車を入れて、あとは山道を10分ほど歩く。写っている標識には、あと0.5kmと表示されている。 でも、この先は、あまり標高差がないため、そんなに苦にならない距離である。

磐椅神社
<<磐椅神社:大鹿桜>>
いきなり、大鹿桜が目の前に現れる。大きい。 右上に張り出した枝も含めて大鹿桜である。 二本の幹があり、鹿の角に似ていることから命名されたとの説がある。

大鹿桜(おおしかざくら)、サトザクラの一品種の八重桜、樹齢約1,100年、樹高約14m、幹回り約2m。

磐椅神社




磐椅神社


アップにすると花の違いが判る。 かなりは桜になっている。 今年は全般に、桜の開花が早くて、対応が一歩づつ遅かったのかなと思う。

磐椅神社
<<磐椅神社>>
大鹿桜のある、磐椅(いわはし)神社。 桜の奥に鳥居があり、石段を上ったところが拝殿になる。

説明を読むと、かなり由緒のある神社のようで応神天皇(15代)とか、元明天皇(43代)のころの草創という。

磐椅神社

<<磐椅神社:縁結び桜>>
この神社のもう一つの桜の木。 二股の杉の分かれ目から桜の木が生えている。

土津神社

土津神社
<<土津神社>>
土津(はにつ)神社は、会津松平氏の初代である保科正之を祀る神社である。 磐椅神社への入り口にあり、立派な社殿であるため、勘違いをしそうであるが、 実際は土津神社は磐椅神社の末社にあたるのだそうだ。

保科正之が、生前、磐椅神社をお参りした時にこの地を気に入り、死後、この地に葬るよう遺言したという。 そして、死後、土津神社として、その墓所を守ることになった。奥之院は正之の墓所である。

江戸時代には、松平氏の保護もあり、豪華な伽藍を構えていたそうだが、戊辰戦争の結果、破却され、 その後、明治13年に現在の社殿が再建されている。

写真の石碑(土津霊神之碑)は、高さ7.3mあり、正之の治績を刻んでいる。 神社の碑石としては日本最大で、亀の形の石を土台としている。

亀石は当初猪苗代湖(写真右側)を向いていたが、夜な夜な湖に這い出していたので、 本殿側に向けた所、這い出すことがなくなったという。

土津神社


境内からは、鳥居越しに猪苗代湖を望むことができる。

磐梯山

<<磐梯山>>
磐梯山には残雪が残って模様をなしている。 すでに、夏近しといった感じの山の色になっている。