2017年9月21日 奥さんが厳島神社に行きたいと言い出した。 この前、私が出雲大社に行ったので、自分も、どこかに、行きたくなったらしい。 こちらもきらいではない。財布は奥さん任せで計画することにした。 ついでに四国にわたって、松山城、金刀比羅宮なども回ることにした。 福岡まで飛行機で飛んで、新幹線で新岩国まで戻り、バスで錦帯橋へ。 こういう機会を逃すと、めったにいけない場所なので、少し無理をしてみた。 |
<<錦帯橋 岩国城を望む>> |
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<<錦帯橋:バスステーション>> 岩国は、新幹線の駅(新岩国)と、在来線の駅(岩国)とが離れており、バスで結ばれている。 その中間ほどに錦帯橋がある。 宮島へは、在来線の岩国駅のほうが都合がよい。 錦帯橋のバス停は、小さなバスステーションの様相をしており、食堂や売店も併設されている。 ただ、少しさびれている感が否めない。 |
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<<錦帯橋>> 世界的にも珍しい木造のアーチ橋である。 山の上に、岩国城があり、城と城下を結ぶのがこの橋の役目になる。 岩国藩は、毛利家の血筋である吉川広家を初代とし、吉川家が代々治めてきた。 この橋は、1673年に三代藩主吉川広嘉によって建造された。 橋の向こう側には、広嘉公の銅像があり、その先のロープウェイからは、山上の岩国城に上ることができる。 ここには、佐々木小次郎の像もある。 吉川英治の「宮本武蔵」の中で、佐々木小次郎は、岩国の出身であり、この河原で燕返しの技を編み出したと記述されている。 吉川英治の創作と思われるが、出自が不明ということもあり、その話が信じられている向きもある。 先ほども書いたように、錦帯橋ができたのは、巌流島の決闘(1612年)の60年後である。 橋の入り口で、入橋料を徴収される。 通行料ということではなく、あくまでも橋の上に立つための費用である。 当然のことながら、向こう側を出ても、半券で戻ってくることはできる。 |
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<<錦帯橋:橋の下>> 橋の下は、橋の上流下流とも、数十メートルにわたって、川底に石が敷き詰められている。 (写真の通り) 橋の袂から河原に降りる道があり、誰でも橋を下から眺めることができる。 |
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<<錦帯橋:橋を渡る風景>> |
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アーチ橋であるが、そんなに歩きにくいということはない。ゆるい階段のようである。 |
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<<錦帯橋:橋の骨組>> まさに見もの。太い木材が器用に組み合わされ橋を構成している。 今日は、車ではなく、JRとバスを乗り継いでの観光。 なれないと、どうしても時間が気になる。 時間に縛られず、思うまま見て回りたいものだ。 |