2017年9月21-22日 岩国の錦帯橋から、在来線で宮島口、フェリーで宮島にわたる。 宮島では、ほぼ一日、観光に充てる。 干潮が夕方であるため、鳥居のところまで歩いていけるのは、この時間帯だけであり (翌日の夕方には次の目的地、朝方は夜明け前の時間)、 ホテルに荷物を置くとすぐ、大鳥居まで行く。 満潮の時の様子と比べると、鳥居の足の色が変わってるあたりまで、海水が来るようだ。 明日の午後までここにいる予定。 |
<<厳島神社の大鳥居>> |
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<<大鳥居>> 宮島口からフェリーで宮島にわたる。フェリーは、夕方の便まで、大鳥居前を通るルートをとる。 もうすぐ干潮の一番潮が引く時間になるため、鳥居の下に、蟻のように観光客が群がり始めている。 早く、あそこに行きたい。 鳥居の向こうに見えているのが、厳島神社の本殿。 |
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<<大鳥居前の全景>>
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=厳島神社(海側)= |
=伊都岐島神社(社側)= |
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<<大鳥居>> 大鳥居の扁額は、海側と本殿側で文字が異なっている(上の写真を参照)。 いずれも、有栖川熾仁親王の筆である。 ただ、いすれも、読み方は「いつくしま」神社である。 「伊都岐島神社」のほうが、時代的に古く、万葉仮名で書かれている。 宝物館には、明治8年の再建の際に交換された以前の扁額(厳島大明神)が展示されている。 現在の大鳥居は、伝承によると、平清盛の造営以来、8代目となる。 鳥居の高さは16.5m。 |
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干潮時には、本殿前から大鳥居まで、地面が現れ、行き来することができる。 中央には、本殿わきから大鳥居の先まで、水の流れがあるが、渡れるような飛び石の橋が用意されている。 どこからでも砂浜に降りることができるので、満潮になるときに取り残されたりしないか、心配になる。 まあ、多少、足が濡れることをいとわなければ、どこからでも戻れるのだが・・。 水草を甘く見ていると、水たまりに足を突っ込むことになる。用心、用心・・。 |
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<<参拝クルーズ>> 充分に夕食を堪能したのち、着いてすぐに予約しておいた、参拝クルーズへ。 夜のライトアップされている社殿を、海側から参拝するという企画で、 潮が満ちている場合には、鳥居の下をくぐるコースになる。 屋形船に乗り込んで、座布団に座る。10人少しの呉越同舟の船旅が始まる。 鳥居の下や、本殿の正面では右側と左側の双方に平等になるように、船が操られる。 ただし、暗いうえに、船が揺れるため、撮影はなかなか成功しない。 それでも、ご覧のように水面に姿が映り、幻想的な光景になる。 |
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<<平清盛像>> 現在につながる社殿を造営した平清盛。宮島のフェリー乗り場から出て、海岸沿いを行くと、その像がある。 NHKの大河ドラマで平清盛が取り上げられたことを契機に制作されたので、まだ新しい像とのこと。 厳島神社を造営したころの清盛を想定してデザインされたそうである。 画面左奥に朱の大鳥居が見える。 |
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<<日本三景の碑>> 6月に天橋立を訪れた際にもみた日本三景の碑。 今年で二つゲット。 松島には何度も行っているのだが、まだお目にかかっていない。 今度、探してみよう。 |
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<<厳島神社>> 今日は、正式に正面から参拝する。 門前に並ぶお土産屋さんや食堂の通り(表参道)を抜けると、石の鳥居がお出迎え。 右側には海岸の砂浜があり、左側は千畳閣の石垣となっている。 |
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<<厳島神社:千畳閣>> 本殿にお参りする前に、石段を登って千畳閣に向かう。 だだっ広い吹き抜けの空間で、喜多方熊野神社の長床を思わせる。 豊臣秀吉の発願による建立であるが、建設途中で秀吉が亡くなったため、未完成である (そのため、天井や板壁のない吹き抜け構造になっている)。 天井がないため、普段天井裏になってみることのできない梁の部分まで、見ることができる。 太くて長い梁が建物を横切っているのは壮観である。 |
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<<厳島神社:五重塔>> 室町時代(1407年)の建立であり、日本にある五重塔のうち、7番目に古い塔だという。 塔の高さは、26.7mで、比較的小ぶりではあるが、部材の朱色が美しく、檜皮葺の屋根と相まって、 古さを感じさせない雰囲気を持っている。 五重塔は、千畳閣と並んで小高い岡の上に立っているため (ちなみに、この岡は、厳島合戦=毛利元就vs陶晴賢=の際の、陶軍の本拠が置かれた場所だという)、 島内の方々から望むことができ、まさにシンボル的な建物になっている。 神社に五重塔というと不思議な気もするが、厳島神社には、この五重塔の他にも、千畳閣や多宝塔などがあり、 かつては仏像が安置されていたという。 だが、明治初年の神仏分離で、仏像は大願寺に移され、この五重塔と千畳閣も豊国神社として神道の施設となった。 おおらかな時代もあったのだ。 |
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<<厳島神社:本殿>> 千畳閣から社殿を望む。 昨日の夕方には、社殿前は潮が引いて水草の緑が覆っていたのだが、今日は潮満ちて水の上に浮かんでいる。 左奥の大きな屋根の建物が本殿。 後ろの山が弥山、仏様の横顔に見えるというが・・。 そして、山のふもとの木立の間に見える屋根が多宝塔。 |
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<<厳島神社:参拝入り口>> 社殿内は一方通行で、東回廊から入って西回廊の出口に至る。 昨日は、何とか天気がもったのだが、この頃から、ポツリポツリと雨が落ちてくる。 何とか、建物に入っている間に、あがらないものだろうか。 |
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<<厳島神社:手水舎>> 由緒のありそうな石造りの手水舎だが、いろいろ調べても、由緒らしきものが見当たらなかった。 修学旅行生が多い。あちこちでガイドさんの説明を聞いている。 たまに、後ろで聞かせてもらう。でも、サッサと次に行ってしまうので、こちらは取り残されてしまいがち。 |
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<<厳島神社:拝殿前から>> 本殿−拝殿−祓殿−平舞台−大鳥居が、一直線になっており、 拝殿前では、手前から、祓殿、平舞台、大鳥居と並んで見える。 <<厳島神社:能楽堂>> 能楽堂の屋根に白い鳥が止まっていた。 サギではないかと思うのだが、その方面の知識に疎いので、確かなことはわからない。 <<厳島神社:出口>> 一方通行の出口、西回廊のはずれに当たる。 |
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<<大願寺>> 出口の左には宝物館、右には大願寺がある。 神仏分離以前は、厳島伽藍の中心となっており、本堂にある八臂弁才天像は、かつて千畳閣にあったものである。 弁財天は、江の島、竹生島と併せて、三大弁財天とされている。 |
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<<大願寺:九本松>> 伊藤博文の手植えの松といわれている。 根元から九本に枝分かれしている珍しい形をしている。 |
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<<多宝塔>> 宝物館わきの石段を上る。 厳島神社の境内を眺めながらしばらく上ると、多宝塔のわきに出る。 ここまでくると、めっきり人出が少なくなる。修学旅行生は、厳島神社に参拝して終わりらしい。 |
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<<大聖院:御成門>> 多宝塔の先に、大聖院がある。厳島神社からだと、かなり石段を登ってくることになる。 真言宗御室派大本山。御室仁和寺は総本山・・よくわからん。 寺格からいうと、総本山が仁和寺、大本山が河内長野の金剛寺と、ここ大聖院となるそうだ。 宮島の中では、最も古い由来を持ち、弥山山上の伽藍も大聖院の境内になる。 明治20年(1887年)の火災で、ほとんどの堂塔が焼失し、現在の建物はその後に整備されたものである。 <<大聖院:摩尼堂>> 境内の一段高いところに複雑な組み物のお堂がある。 多くの堂宇があり、また屋外にもいろいろの種類の仏像が並んでいる。 他にも、いろいろ目先を変えた工夫がされておりお参りだけでなく飽きることがない。 参道のあちこちで子供が寝ている(石の地蔵さん)。 石段の真ん中には小さな摩尼車があり、石段の上り下りの際に回せるようになっている。 摩尼堂の先には、半地下の遍照窟という怪しい場所がある。中には、高野山の奥の院を思わせる灯篭が天井からさがり、 四国八十八か所の本尊がまつられ、早回りができるようになっている。 |
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<<紅葉山駅>> 大聖院で思った以上に時間がかかってしまった。 そそくさとお昼をいただき、ロープウェイ駅行きの無料バスの時間に何とか間に合う。 着いたのが紅葉山駅。ここからが弥山登山の始まり。 |
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<<弥山ロープウェイ>> 途中で、ロープウェイから4人乗りのゴンドラに乗り換える。 外は、一時小やみになっていた雨が降り始め、次第に強くなってきた。 |
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<<烏帽子岩駅>> ロープウェイの終点。ここからは徒歩で山頂を目指すのだが・・。 雨が激しくなり、山道は大変ということで、山頂を目指すのは断念せざるを得なかった。 山上伽藍も見てみたかったんだけどね・・。 とにかく、宮島観光はここでおしまい。 広島市に向かう。 |