2017年9月24日
いよいよ最終日、瀬戸大橋を経由して岡山でレンタカーを返し、帰路に就くという予定。 ただ、途中でいろいろと、回るルートを考えた。

奥さんが行きたがっていた金刀比羅宮、現存十二天守の丸亀城、弘法大師の故郷善通寺、そして途中の銭形砂絵。 すぐに計画が出来上がった。

金刀比羅宮
<<金刀比羅宮:旭社前の石段>>

銭形砂絵
<<銭形砂絵>>
寛永通宝を模した砂絵というか、砂のモニュメント。 地上からではなく、高台の展望台から見るとかたちになる。

なぜ、このような砂絵が作られたのかについては、諸説あってはっきりしない。 構造から言っても、誰かに見せるためとしか言いようがない。 現在でも、年に二回、手直しがされているという。

銭形砂絵

<<銭形砂絵の展望台>>
砂絵を見ることのできる展望台。 小高い丘の上にあるが、車は一方通行になっている。 展望台の駐車場は10台くらい停まれる程度。

ちょうど、どこかの勉強会なのか、説明されている方がいるグループがいたので、 聞かないふりで聞いていた。 それによると、上空から見ると、真円ではなく楕円であるということで、 まさに、ここから見せるためのものということである。

金刀比羅宮
<<金刀比羅宮:参道の石段>>
今日は日曜日。 金毘羅参りのマラソンが行われていた。 黄色いTシャツの人が参加者などの関係者である。 ちょっと、じゃまだがこれもありかなと思う。 年代別でスタートしているらしく、途切れることなく石段をかけ登っていく。 一番早い人は、20分かけずに、本宮までの785段を往復して、戻ってくるそうだ。

金刀比羅宮

大門付近(365段)

門前のお店もここまで。 大門の向こうには、唯一境内内で販売を許可されている、五人百姓の売店があり、 加美代飴を売っている。

金刀比羅宮

参道両脇には奉納された石柱の列が。 とんでもない金額が並ぶ。 思わず写真に撮ってしまった。

金刀比羅宮


銅鳥居付近(431段)

前回、上ったときは霧雨のような薄暗い雰囲気だったが、今回はマラソン組の黄色いTシャツがあり、 観光客の姿も多く、晴れてはいないものの、明るい雰囲気に満ちていた。

奥さんは、年寄りを放って先にどんどん行ってしまう。 駐車場で杖を借りて、ゆっくりと登っていく。

金刀比羅宮
<<金刀比羅宮:旭社(628段)>>
休憩にちょうどいい場所。汗が滝のように流れている。 若ければ一気に登っていくのだろうが・・。 一息つくのに都合のいい建物と長椅子がある。

確か、前回もここで休んだような。同じことをいつもしている。

金刀比羅宮


ここから先が、最後の一息。

金刀比羅宮
<<金刀比羅宮:旭社からの石段(652段)>>
この石段を上ると本宮に到着。あと一息。

金刀比羅宮


本宮の屋根が見えてきた。 元気が戻ってくる。

金刀比羅宮
<<金刀比羅宮:本堂(785段)>>
二度目の本堂。 展望台からも、少し曇ってはいるが、下界を望むことができた。

奥さんは奥社にも行こうとしたが、先日の台風の影響で、通行止めになっており、 行くことはできなかった。 ホッと胸をなでおろす。 ちなみに、奥社へは1368段ある。つまり、ここ本宮で約半分ということ。

金刀比羅宮
<<金刀比羅宮:三穂津姫社>>
三穂津姫社は、本宮と渡り廊下でつながった建物である。 三穂津姫は、金刀比羅宮の主祭神である大物主神(大国主神)の后であり、夫婦の社が並んでいるという形である。 よく似た建物で、写真だけを見るとどちらかわからなくなる。

金刀比羅宮

<<金刀比羅宮:絵馬堂>>
三穂津姫社のとなりに大きな絵馬がいくつも飾られた絵馬堂がある。 色落ちして何が書いてあるのか判別できないものから、つい最近、奉納されたものまで、 数多くの絵馬が並んでいる。

金丸座
<<金丸座>>
金刀比羅宮の帰りには、ここ金丸座。

毎年、四国こんぴら歌舞伎として、歌舞伎界の大物を呼んで歌舞伎興業が行われている。 昭和60年から、行われているので、今年で34回目となる。

例によって、案内のおじさんについて中をまわる。

金丸座
<<金丸座:楽屋>>
舞台裏には、楽屋やふろ場などが並んでいる。 昔使っていただけでなく、現在も、芝居の際には使用されているらしい。

金丸座
<<金丸座:お風呂>>
古いお風呂ではあるが、左側に洗面台と蛇口がついていた。 返って、使用されているんだという感じがする。

金丸座
<<金丸座:奈落>>
舞台の下。中央の太い柱は、回り舞台の中心。

その隣にある階段の先は、舞台に出るセリ。 どちらも、人力(当たり前のようだが)で動く。 実際の芝居の際にも、力持ちに頼むそうだ。

金丸座

<<金丸座:舞台と客席>>
二階の大向こうから。 舞台がちかい。

善通寺
<<善通寺:西院 大師堂>>
四国八十八か所霊場の第七十五番。 真言宗の開祖である空海(弘法大師)の生誕地に、807年に創建された。 高野山、東寺と並んで、弘法大師の三大霊場とされる。

善通寺は、東院(伽藍)と西院(誕生院)に分かれている。 東院は佐伯直田(法名善通)から寄進を受けて善通寺が創建された場所であり、 西院は空海の出自である佐伯氏の邸宅があった場所であり、空海の生誕地と言われる。 善通寺はの名前は、佐伯直田の法名から得ている。

善通寺
<<善通寺:東院 金堂>>
1699年上棟。本尊は薬師如来。

東院は、建物と建物の間があいていて、広々とした感じがする境内である。 一方の西院は、建物の数が多く、元の由来を考えるとうなづけるところである。

善通寺

<<善通寺:東院 五重塔>>
明治35年(1902年)の再建。高さは45m。

善通寺
<<善通寺:東院 五社明神の大楠>>
樹齢1,000年を超える大楠。
樹高40m、幹周10m。

境内には大楠が二本あり、これはそのうちの一本。 弘法大師が子供だった頃には、すでに大木であったとの話もあるそうだ。 大木には、神秘的な力があるというが、この木を見ていると飽きることがない。

善通寺

<<善通寺:東院 五百羅漢>>
古いものではないのだが、東院境内の周囲をくまなく囲っている。かなりの数になる。 本当の500体あるのかもしれない。

四国巡礼の地らしく、納経所も売店も大きく、多くの人でにぎわっていた。 早く巡礼したい。(お金と暇と両方ほしい・・)

丸亀城
<<丸亀城:大手二の門>>
丸亀城は、1598年生駒親正によって築城されるが、いろいろ変遷があって、1658年以降は京極氏の居城となり、 明治維新まで続く。

京極氏は、ご存じ浅井三姉妹の二女であるお初の嫁ぎ先(京極高次)として有名であり、 丸亀城の城主は、その系譜に連なる京極氏である。

丸亀城
<<丸亀城:石垣>>
丸亀城でひときわ目につくのが、その石垣の美しさである。 地上から天守台まで60mを、4層の石垣が覆っている。 一言でいうと「様になっている」かな・・。

丸亀城
<<丸亀城:天守閣>>
現存十二天守の一つである。 三層で少し小さい天守であるが、石垣を含めて下から見上げると、実際よりも大きく見える。

中は、例によって急な階段を、滑り落ちそうになりながら上り下りする。

丸亀城

<<丸亀城:天守閣内部>>
今日はお祭りのようで、城内の駐車場をつぶして出店が出ているらしい。 事前に調べておいた駐車場に入れて、お城に向かうと、大手門の広場では、アイドルのショーをやっている。

でも、人混みはそこまで。なかなか天守まで登る人は多くない。疲れるものね。

前回来たときは、雨が降り始めていて、傘を差したものの、濡れながら坂を上ったものだった。 今日は、雨の心配はない。晴天ではないが・・。

瀬戸内大橋
<<瀬戸大橋:与島パーキング>>
瀬戸中央自動車道(早島IC〜坂出IC)にのって岡山駅に向かう。旅も終盤。 与島PAは、瀬戸中央道の中間にある与島に設けられたパーキングエリアで、 岡山方面・香川方面共通の施設となっている。

高速道からは、長い円形の橋状のランプウェイで駐車場に到達する。

降りるとすぐ、瀬戸大橋の雄大な姿が目に入る。

瀬戸内大橋



瀬戸内大橋

<<瀬戸大橋>>
与島PAからの眺め。 瀬戸大橋は2階建て構造で、上階が自動車、下階が鉄道線となっている。 前回は、岡山から高松行に乗って橋を渡ったのだが、ほんの一瞬のことだったし、橋を眺めることはできなかった。 今回は、十分に堪能することができた。

岡山から新幹線で帰路につく。