2018年5月15-16日 奥さんが出雲大社に旅行に出かけてしまった。去年、私だけで行ったのに刺激されて、自分も行きたくなったようだ。 こっちは仕事だったのでついていけず。 そんなわけで、仕事が一息つくと、行きたいと思っていた震災被災地を、再度訪れることにした。 ただ、今回は節約旅行ということで、高速を使わず、一泊のみでがまんすることに・・ |
<<石巻市大川小学校跡>> |
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<<南三陸町:防災対策庁舎跡>> 前回は工事現場の中のようで、道もはっきりせず、道なりで行くしかなかったが、 メインの道路が開通し、高速道路も整備されて、近づきやすくなった感じ。 ただ、震災被害を受けた防災対策庁舎には、前回(三年前)と同じく、近づけず、 防潮堤越しに、上の部分を見ることしたできない。 下の写真は3年前のもの。車を止められず、わずかな停車時間に撮ったもの。 ![]() <<南三陸町:サンサン商店街>> 新しくできた国道のわきに、新しい商店街ができていた。一見、道の駅のような感じだったが、 普通の商店街のようなお店が並んでいる。平日ではあったが、お客さんも多くにぎわっていた。 |
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<<陸前高田市:奇跡の一本松>> 背後の防潮堤が完成していたほか、一本松は変わっていなかった。 ![]() 町中も、前回目を奪われた巨大なベルトコンベア群は、役割を終えたようで撤去されていたが、 土の山は養生中なのか、そのままであった。 道路も工事中のところが多く、いまだ道遠しといった感じがする。 <<陸前高田市:下宿定住促進住宅>> 震災遺構。下宿は「しもじゅく」と読む。 5階建ての住宅の4階までが津波で破壊されている。 実際には、5階まで津波は到達していたという。 |
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<<石巻市:大川小学校跡>> 何回来ても、厳粛な気持ちになる。 ここも、変わらずそのまま残っている。 建物の整備が進んだのか、近くまで寄れるようになっていた。被害の様子を伝える簡易な説明版も設置され、 往時の様子や、被害の実態を伝えてくれる。 ![]() |
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現地の案内板で説明されていた、津波襲来時の様子。
川からきている青い矢印が津波。校庭から出ている黒い矢印が先生と児童が避難した道筋。
河口は写真の下側、約4km程のところにある。川をさかのぼってきた津波が、 ここの橋脚にせき止められた流木などによって行き場を失い、この地区に押し寄せたという。 写真には多くの住宅が写っており、何の変哲もない平和な町だったことがうかがえる。 それが今は、下のパノラマ写真のように、何もない原っぱに代わってしまった。 この写真は、橋のたもとの三角地点のそばから写したもの。 |
![]() <<大川小学校付近>> |
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<<女川駅>> 前回来た時には、すでに駅舎はできていたのだが、駅前は趣を一変していた。 駅からは、海が見通せる。 正面の海からは、毎年の初日の出が上るという。 それぞれの考え方もあるのだろうが、やっぱり海が見えたほうが良いと思う。 <<女川駅前商店街>> ![]() 駅前は商店街が整備され、営業を開始している。 平日の昼時ではあったのだが、食堂は満員状態で、にぎわっていた。 今回の目的の一つでもある、おかせいの「女川丼」も食することができた。 ハマテラス前のレンガ広場には、女川に関わり、女川を応援する人々の名前が刻まれている。 ただ、時間の経過とともに、刻まれた文字も薄くなってきている。人々の行き来でレンガがすり減っていくのは、 仕方のないことであり、消えたのではなく溶け込んでいったと考えたほうが良いのかもしれない。 <<女川小学校から復興住宅>> 女川駅の前の道を行くと坂になり、その先に小学校や仮設庁舎、さらに高台に中学校がある。 中学校の校門前からのぞくと、前に女川小学校の校庭、向こうに新築の復興住宅が並ぶ。 考え方として、住宅は高台(実際にかさ上げしている)、低地には商業施設と切り分けして、 巨大な防潮堤を回避している。 |
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<<女川いのちの石碑>> 女川中学校の校門前にある「いのちの石碑」一号碑。 中学校の卒業生が、津波の危険性を将来にわたって伝えたいとの思いから、町内の各地の津波の到達点に建て始めたもの。 現在までに、6基が建てられ、最終的には21基になる予定。 各石碑には、共通の碑文と個別の俳句が刻まれている。この1号碑には、 「夢だけは こわせなかった 大津波」 とある。 |
=碑文= 東日本大震災で、多くの人々の尊い命が失われました。 地震後に起きた大津波によって、ふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。 「これから生まれてくる人たちに、あの悲しみ、あの苦しみを、再びあわせたくない!!」その願いで、 「千年後の命を守る」ための対策案として、@非常時に助け合うため普段からの絆を強くする。 A高台にまちを作り、避難路を整備する。B震災の記録を後世に残す。 を合言葉に、私たちはこの石碑を建てました。 ここは津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。 もし、大きな地震が来たら。この石碑よりも上へ逃げてください。 逃げない人がいても、無理やりにでも連れ出してください。 家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。 今、女川町はどうなっていますか? 悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています。 2014年3月 女川中卒業生一同 |
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<<女川交番跡>> 海岸沿いに残されている、旧女川交番跡。 津波の引き潮に足元をすくわれて横倒しになった言われている。 |