2018年9月22-23日 ちょっと遅い奥さんの夏休み(と言っても何日も休めるわけではなく、連休にプラスする程度)。 いろいろと行先の案を考えた後、奥さんが選んだのが「お城巡り」。 メインは、彦根城・犬山城の、国宝天守、そして安土城跡、それに再建した名古屋城本丸御殿など。 例によって、この時を逃してなるものかといった、てんこ盛りの旅行となった。 |
<<琵琶湖夕暮れ>> |
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<<太郎坊宮>> 高速を八日市ICで下りて、お昼をとり、太郎坊宮に向かう。 この山が赤神山、太郎坊宮は、正式には阿賀神社という。 大きく見えるのが、参集殿。山の中腹には、本殿が見える。 山を見てわかるように、険阻な岩山で、修験道の雰囲気が漂っている。 太郎坊とは、神社を守護する天狗の名称という。 とてもふもとから登る元気はなく、参集殿わきの駐車場まで車で行き、 そこから260段の階段を上る。(ふもとからだと740段とか) 阿賀神社というが、石門には天台宗成願寺とある(どっちなんだ)。 古代からこの地を霊山としてあがめ世間に広く知れ渡っていたところ、 伝教大師最澄がお参りし、社殿・社坊を建立した。 つまり、古代の神道に、天台宗仏教と修験道が絡み合ったものが、現在の太郎坊宮ではないかという。 |
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<<太郎坊宮:夫婦岩>> 神の力によって岩が引き裂かれたと伝わる。岩と岩の間隔は80cmほど。 古代には、この挟間に神が住んでいたという。 そのため、心悪しきものが、この間を通ろうとすると、岩に挟まれてしまうといわれる。 という伝承は別にして、体型的に通れるかどうかのほうが心配だったが、何とか通り抜けることができた。 |
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<<太郎坊宮:本殿>> 本殿は、山の中腹にしがみついているような形で建てられている。 それまでの立派な建物に比べて簡素な感じがする。 (これが本殿?って感じ) 祭神は、 正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神 ―マサカアカツカチハヤヒ アメノオシホミミノオオカミ― 「勝」という字が二度も出てくるように、勝利と幸福を授ける神としてあがめられている。 お守りにも「勝」の字が刺繍されている。 |
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参道の両脇には、いろいろの石像が並んでいる。 下に挙げた七福神をはじめ、十二支や福助など。 気分転換をしながら上がることができる。 この石の灯篭は、とても変わった形だった。何かを模しているのだろうか。 実は、ここ太郎坊宮を訪れた本当の目的は、参集殿の売店にももクロのサインが飾ってあるから、でした。 |
[布袋] |
[毘沙門天] |
[弁財天] |
[恵比寿] |
[大黒] |
[福禄寿] |
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<<安土城跡>> 安土城は現存しない。織田信長によって建造されたが、 本能寺の変の後、原因不明の火災により天主を失い、その後、廃城とされた。 昭和30年代から城跡の修理が始まり、平成になってから本格的な調査整備が始まった。 天主跡まで、きれいに整備された道が続く。 ただ、付近には観光地にありがちなものが、何もない。 田園風景が楽しめるというか、何か寂しいというか、複雑な感じ。 まだ、整備されて日が経たないからだろうか。 |
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安土城の特徴が、前の写真とこの写真にある、大手門から続く幅広の直線の道であり、 両脇には、秀吉や家康などの重心の屋敷跡が見られる。 |
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<<安土城跡:信長廟>> 直線の大手道に続いて、ジグザグの石段があり、登りきると、山上の城郭(本丸・二の丸・三の丸)にたどり着く。 まずは、二の丸跡へと登ると、周りと比べて新しい石垣が・・。 秀吉の建立になる信長本廟がこれ。 |
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<<安土城跡:天主跡への石段>> 二の丸に上る石段の反対側を行くと、本丸跡があり、天主跡に至る石段がある。 |
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<<安土城跡:天主跡>> 天主跡には、礎石が残るのみである。 ただ、石垣の上からでさえ絶景が広がっている(次のパノラマ写真)。 天主の上からは、これ以上の眺めがあったのだろう。 |
[天主跡からの眺望] |
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<<安土城跡:本丸跡>> 天主跡から一段下りたところが本丸跡。 思ったほど広くない。山上にあるからだろうか。 木々や雑草に覆われ、薄暗く、往時を思うかけらもない。 |
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<<安土城跡:ハ見寺仁王門>> 西側の出口に向かう途中にハ見寺の山門がある。 このお寺も、安土城が盛んな頃からここにあるお寺であり、安土城の衰退にもかかわらず、 幕末までこの地で隆盛を誇っていたようである。 安政年間に火災により堂塔の大部分が焼失し、衰退していったという。 現在残っているのは、三重塔(現在、修理中)と、仁王門のみである。 |
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彼岸が来ると必ず彼岸花が咲いている。 関西に来ると思い出す。他の地域でもそうなのだろうか? ここにも、太郎坊宮でも、咲いていた。おまけに、アゲハとコラボしている。 |
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<<安土城天主信長の館>> ちょっと道がわかりにくい。 田んぼのあぜ道のようなところを通って、ようやくたどり着いた。 安土城考古博物館のとなり、「文芸の郷」の中に、安土城天主信長の館がある。 内部には、安土城天主の上部2層の、実物大の模型が展示されている。 安土城の天主の復元についてはいろいろの意見があり、その中の一つを採用している。 ただ、どなたの復元案なのかは、調べがつかなかった。 |
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<<信長の館:6重>> 建物に入ると、目の前に天主がある。 ようやく収まるかどうかの大きさの建物の内部全体を占めている。 手持ちのカメラでは、全体を収めることができない。 復元模型とは言いつつ、内部は立入禁止で、外から眺めるだけ。 |
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<<信長の館:7重>> |
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<<安土城城郭資料館>> 城郭資料館は、安土駅の駅前にある。 電車で来る人にはとても便利な場所にあるが、車だと駅前はめったに行かない場所なので、 ちょっと、気が進まないところがある。 でも、天主の本物が見れない以上、模型でも見ておきたいといったところ。 二十分の一の模型で、本物は高さ32.5mと推定されている。 |
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<<安土城天主内部>> 天主内部は吹き抜けになっており、中央には仏舎利の入った多宝塔があったという。 定期的に、建物が開いて、内部が見れるようになる。 実によくできている。 なお、安土城は天守閣ではなく、天主というそうだ。 |
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<<彦根城>> 朝日を映す彦根城天守閣。 琵琶湖畔のホテルからも、天守閣を望むことができた。 |
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<<彦根城:井伊直弼像>> 最近は井伊直政のほうが有名ではないかとも思うのだが、 やっぱり幕末の井伊直弼のほうなのかな。幕末物のドラマには必ず出てくるものね。 ここにあるのは、大河ドラマの第一作「花の生涯」の主人公である井伊直弼である。 彦根城は、江戸時代を通して、井伊家の居城である。 徳川家康の四天王とうたわれた井伊直政が建造したのかと思ったが、実際に取り掛かる前に亡くなってしまい、 子の直継の時代に完成したという。 |
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<<彦根城:表門橋>> 朝一番の開門前に城に到着。駐車場の前でしばらく待ち、中に入る。 連休中とあって、ここは、朝一番でないと車を入れられないと思っていたので、正解かな。 駐車場の係の人と話をしているうちに、エンジンを切るのを忘れてしまって、そのまま車を離れてしまった。 大失態。係の人がいる駐車場でよかった。 |
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<<彦根城:天秤櫓と廊下橋>> 中央の門を囲むように両側に櫓があり、天秤ばかりのような形状をしていることから天秤櫓という。 門をくぐるにはいったん廊下橋の下を回り込んで、上に出てから廊下橋を渡ることになる。 |
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<<彦根城:天守閣>> 彦根城は、現存十二天守の一つで、国宝に指定されている。 国宝に指定されている天守閣は、姫路城、松本城、彦根城、犬山城、松江城の、五か所である。 今年は、大きな被害を与えた台風が多く、天守閣も漆喰壁の一部がはがれ、無残な姿をさらしていた。 |
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<<彦根城:天守閣からの琵琶湖>> 彦根城は、琵琶湖の岸に建っている。天守閣からは琵琶湖が望める。 中央右寄りの、白い建物が、泊まったホテル。確かに、向こうからもよく見えるはずだ。 |
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<<彦根城:天守閣内部>> 現存天守は、内部が暗く、階段は急なつくりになっている。 ここもそのまま、かくのごとし。 |
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<<彦根城:黒門山道から>> 黒門に下る道。どちらかというと、裏口ルートのようだ。 台風の影響で、所々が通行止めになっている。ストレートに下りるしかない。 |
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こちらは、表門と比べてあまり手入れがされていないような・・。 でも、このうっそうとした景色もまたおもしろい。 この頃になって、車のカギを持っていないことに気づき、ちょっと慌て始める。 |
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<<玄宮園>> 旧井伊家の大名庭園。 庭内から彦根城の天守閣を望むことができる。 最初は見る気はなかったのだが、駐車場までの通り道ということで入ってみることにした。 どこから見ても、絵になる風景の連続・・、とはこのことか。 何枚か写真を撮ったのだが、どれも、絵葉書に写っていそうな景色ばかり。 |
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幸いなことに、車は無事だった。 ただ、エンジンを切っていなかったので、思いもかけず、中は冷えていたけどネ。 |