2018年9月23-24日 復興天守ではあるが、織田信長が居城とした岐阜城を外すわけにはいかない。国宝の犬山城。 最近、何かと話題の名古屋城。そして、徳川家康ゆかりの岡崎城が、今回の城廻のラインナップである。 |
<<有楽苑:竹林>> |
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<<岐阜城>> さも、記念写真を撮りなさいという看板付きの、カメラスポットであるが、 山城のため、なかなか天守閣全体を見通せる場所がない。ということで、この一枚。 岐阜城は、岐阜市内の金華山(標高:329m)という山の上にある。 付近一帯は、岐阜公園として整備されており、 山麓から山上までは、ロープウェイ(金華山ロープウェイ)が通じている。 連休の二日目であり、天気も良かったし、お昼前の時間帯も合わさって、大混雑。 河川敷の臨時駐車場の端に、ようやくスペースを見つけた。 ロープウェイも何本か待って乗れる状態。 でも、片道3分程度で、ピストン輸送しているため、ほどなく乗ることができた。 山上には、歩いて登ってくる人もおり、狭い山上一帯に人があふれていた。 斎藤道三の居城である稲葉山城を、道三の死後の斎藤家内部の騒動に乗じて信長が奪い取り、 名を岐阜と改めて居城としたものである。 |
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<<岐阜城:天守からの眺め>> 戦国時代の岐阜城は、織田信長が安土城に移った後、織田氏、池田氏を経て、 織田秀信(清須会議での三法師)が、最後の城主となり、江戸時代の初めに、徳川家康によって廃城とされた。 現在の復興天守は、1956年の建造。ちなみに、天守閣の住所は、岐阜市天主閣18である。 山の高さと天守閣の高さがあわさって、四方の眺めが素晴らしい。 眼下を流れるのは長良川。対岸には野球場(長良川球場)と陸上競技場(長良川競技場)があり、 競技場ではちょうどJ2の試合が行われていた。 <<岐阜城:三重塔>> 大正年間の建立。特にお寺とは関係なさそう。 |
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<<犬山城:本丸門>> どう考えても、ここは午後からになってしまった。 駐車場を探すのに一苦労。メインの駐車場には嫌われ、 渋滞している町中を抜けて、反対側を差している案内板にも邪魔をされたが、 何とか第二希望の駐車場に入れることができた。 |
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<<犬山城:天守閣>> 織田信長の叔父織田信康が、それ以前からあった砦を改修して築造し、 豊臣政権の時に石川氏が改修して現在の形となった。 江戸時代は、成瀬氏が尾張徳川家の附家老として、この城の城主を務めた。 明治後、つい最近(2004年)まで、犬山城は成瀬氏の個人所有物であったという。 (注:現在は公益財団法人犬山城白帝文庫の所有) |
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この天守は最上階に廻縁があり、手すりのみであるにもかかわらず、360度めぐることができる。 大体、人工の手すりであったり、網が張られていたり、外に出れなかったり、というところがほとんどであるのに、 そういう意味で珍しい天守である。 天守閣に登るには、順番待ち。靴はレジ袋に入れて持ち込む形で、袋の数で内部にいる人数を制限しているという。 出てくる人の袋をもらって、ようやく入れる。 |
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<<犬山城:天守閣からの眺め>> 眼下を流れるのは木曽川。堀を兼ねているらしい。 |
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木曽川とは反対側の眺め。 |
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<<犬山城:木製模型>> 天守閣内にあった木製模型。他に木組みの模型もあった。 天守閣の中に入っても、急な階段の手前に列ができる。 上の階ほど、入れる人数の数が少なくなるのは仕方ないことか。 |
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<<有楽苑>> 犬山城の隣、名鉄犬山ホテルの敷地内にある。 由緒をいろいろ調べたのだが、見つからない。 本当に、近年に作られた日本庭園なのだろうか。 ただここには、国宝の茶室(如庵)がある。 その他に、重要文化財の旧正伝院書院などがあるが、それらが、日本庭園の一景色として溶け込んでいる。 嘯月台、萱門、有楽好み井筒、水琴窟、竹林など、見所一杯で、日本庭園を十分楽しめる空間である。 |
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<<有楽苑:如庵>> 織田有楽斎が、京都建仁寺の塔頭正伝院の再興の際に建てた茶室である。 明治維新後、あちこちを転々として、昭和47年に、当有楽苑に移築された。 一説には、有楽斎の洗礼名が「ジョアン」というので名付けたともいわれる。 国宝の茶室は、全国で3か所、京都妙喜庵「待庵(たいあん)」、京都龍光院「蜜庵(みったん)」そして如庵である。 |
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<<有楽苑:如庵内部>> 中に入ることはできないが、窓から内部を覗くことができる。 |
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<<有楽苑:元庵>> 有楽斎が大阪天満屋敷内に建てた茶室を、古図を用いて復元したもの。 すでに、夕暮れも近く、早くホテルにたどり着きたいのだが、雰囲気か気に入って、待合で時間が経つ。 |
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<<名古屋城:正門>> 大都会の中心部はなかなか車では走りにくい。 複数車線があると、どの車線を走ればいいのか分からなくなってしまう。 田舎者の悲しさかな。 普段走っていると、覚えてしまうのだが、初めてだと交通案内板を見ながらになるので、大変。 特に、名古屋市内は高速があるので、ますますややこしくなる。 事前に、十分予習をして、間違いないようにしたつもり。 |
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<<名古屋城:天守閣>> 天守閣は、再建されるため、工事に入っており、立入禁止。そのため、外から眺めるだけ。 この構図は、名古屋城に来るたびに同じになってしまう。 奥が天守閣、手前が西南隅櫓。 |
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<<名古屋城本丸御殿>> 名古屋城本丸御殿は、かつて京都二条城の二の丸御殿とともに、 近世城郭御殿の傑作として並び称されていたものだったが、 昭和20年の空襲により、天守閣とともに焼失した。 天守閣は再建されたが、本丸御殿は長らくその機会がなかったが、2009年から再建を開始し、2018年完成した。 お城巡りの中に本丸御殿も入れてしまった。 話題になったこともあり、天気の良い連休中ということで、大混雑。 1時間ほどかかって、ようやく、中に入ることができた。 内部の障壁画や襖絵などは、空襲から逃れたものもあり、昔の資料も残っているため、 当時の材料や技法を使用して、再現されている。 まだ、木の香りのする室内で、極彩色の障壁画、襖絵、欄間に、思わず見とれてしまう。 |
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<<名古屋城本丸御殿>> 湯殿書院越しの天守閣。 |
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<<岡崎城>> 徳川家康が生まれた城である。 古い城の趣満点。石垣に生えた木は、途中で切られてからの時間の経過も思わせる。 35年ほど前、出張でこの地を訪れた時の宿が、お城のそばだった。 出張ということで、夜遅くまで営業所で仕事していたのだが、近くに城があると知り、 朝早く、散歩がてら訪れてみた。もちろん天守閣に登ることはできなかったが、良い雰囲気を味わうことができた。 |
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<<岡崎城:天守閣>> ここには、東照公遺訓を刻まれた石碑が建っている。 「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。・・」というあれである。 前回と同じ。当たり前だが・・。 |
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<<岡崎城:本多忠勝像>> 本多忠勝が岡崎城を居城としたことはない。 ただ、生まれたところは岡崎のようだ。 忠勝直系の本多家が、その後岡崎城の城主となり、幕末まで続いたという。 |
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<<岡崎城:徳川家康像>> 御存じ徳川家康。 |