2019年4月14日 毎年この季節になると、奥さんが桜を見に行きたいと言い出す。 今年は、桜の季節が早いのかと思っていたのだが、東北はなかなか桜の便りが聞こえてこない。 桜の季節は短く、一回週末を逃すと、今年はあきらめざるを得ないことになる。 まだ、満開にはイマイチではあったが、お城も見たくて、峠を越えることにした。 |
![]() <<白河小峰城:三重櫓>> |
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<<磐梯山>> 磐越道・磐梯山SAから、残雪の磐梯山がはっきりと見えた。 このサービスエリアからは磐梯山は見えないものと、なぜか、思っていた。 今日は、これ以上にないと思われるほど、はっきりと拝むことができた。 |
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<<白河小峰城:本丸跡の石垣>> 雰囲気だけは天空の城みたい。 かつての小峰城は戊辰戦争の際にその大半を焼失した。石垣は残っていたが、東日本大震災の際に一部が崩落し、 この時は、まだ修復中であった。 調べたところ、この翌週の21日に、修復完了の宣言が出されたという。 実に、8年をかけた修復作業だったことになる。 さすがに、立派な石垣ではある。 ![]() この、真ん中あたりの石垣は、半円状に積まれている。 これが、この城の石垣の積み方の特徴である。修復の際にも、以前の写真などを参考にして、忠実に再現されたという。 |
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<<白河小峰城:御三階櫓と前御門>> 白河は、かつては、白河の関が置かれた地であり、のちも、東北・奥州を押さえる要地として、重要な役割を持っていた。 そのため、江戸時代には、有力な譜代や親藩の大名が、藩主として、頻繁に入れ替わった。 なかでも、御三卿田沼家の出である松平定信は、寛政の改革の立役者として有名である。 焼失前のお城は、江戸時代(1632年)の築城であったため、大きな天守閣こそないが、御三階櫓がその役目をしている。 今の御三階櫓及び前御門は、1994年の木造復元建築である。 |
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<<白河小峰城:桜御門>> 本丸を挟んで、前御門の反対側にあるのが桜御門。これは、石垣の上から撮ったもの。 |
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<<白河小峰城:おとめ桜>> 寛永の大改築の際に人柱とされた「おとめ」という娘が埋められた場所に、 桜の木が植えられ、後に「おとめ桜」と呼ばれるようになったという。 元々の木は戊辰戦争の際に焼失し、現在のは二代目という。 |
<<白河小峰城:御三階櫓からの眺め>> |
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![]() =北= |
![]() =西= |
![]() =東= |
![]() =南= |
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<<白河小峰城:御三階櫓初層階段>> 白河小峰城の御三階櫓は、天主に相当する建物の中では、最初に木造で復元されたものである。 残っていた古図面をもとに、できる限り正確に復元されたそうで、柱や梁などにも、チョウナの跡が残っている。 余計な展示物などはなく、まさに、復元櫓自体を見てくれと言っているようだ。 |
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<<白河小峰城:御三階櫓屋根裏>> 最上層の屋根裏。 棟札が上がっている。 「奉造小峰城三重櫓一宇 平成二年四月吉日」 とある。 |
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お城近くの民家の庭に咲いていたしだれ桜。 |
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<<南湖公園>> 白河小峰城の南3kmほどのところに、南湖公園がある。 なかなか空いている駐車場が見つからず、湖の周りをまわって、ようやく停められる場所が見つかった。 花見だけでなく。周辺のトレッキングや、散策にも利用されているようだ。 |
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この公園は、松平定信が造成し、一般庶民が憩える場として開放した場所で、日本最古の公園と呼ばれる。 |
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<<南湖公園:湖岸の桜>> この季節は、桜が池の周囲で咲き誇っている。 |
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<<南湖公園:天女島>> |
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<<南湖公園:南湖神社>> 祭神は松平定信。大正年間の設立である。 |
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<<南湖公園:楽翁桜>> 松平定信が南湖公園を造営した際に植えたと伝えられ、樹齢200年、楽翁は定信の号。紅しだれ桜。 |