2019年4月28日
 二日目。前日とは打って変わった快晴、だが、風が少し強い。陸前高田までが、被災地の訪問、その後は観光旅行になる。 連休の人出がちょっと心配。

中尊寺
<<中尊寺:釈迦堂わきの竹林>>

陸前高田
<<陸前高田:奇跡の一本松>>
考えてみると、朝の時間帯に、ここを訪れるのは初めてだった。 おかげさまで、朝日を背景にした一本松が撮れた。

陸前高田
<<陸前高田:造成中の市街地>>
前回まであった、土の山が目立たなくなった。だいぶ、かさ上げがすすんでいるようだ。

陸前高田

<<陸前高田:気仙中学校跡>>
道の途中にあって、車でもあっという間に通り過ぎてしまうのだが、ここも震災遺構に指定されている。 この校舎は、屋上を超す津波に襲われ、完全に水没してしまったのだという。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:政庁北門前>>
大河ドラマ「炎立つ」が放映されたのは、1993年のこと。 奥州藤原氏の盛衰を描いて、大河ドラマでは珍しい平安時代を背景とする話であった。 ドラマの大規模なオープンセットは、藤原氏ゆかりの地であるここ旧江刺市(現奥州市)に建設され、 撮影終了後は、歴史公園として整備され一般公開された。

園内には、平安貴族の寝殿造りの住宅「伽羅御所」、武家の館「経清館」「清衡館」、政治の場所「政庁」などが、建ち並び、 現在でも、ドラマや映画のロケ地として活用されている。

えさし藤原の郷

<<えさし藤原の郷:延命千年杉>>
園内の一角に横倒しにされ、正面に空洞をさらしている杉の木が祀られている。 樹齢千年ではあるが、約2,500年前に、鳥海山の噴火による火山灰に覆われ地中に埋没していたものが、 近年道路工事中に発見され、その後、ここに寄贈されたものという。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:政庁正殿>>
12世紀末の、奥州藤原氏の政庁を想定した建物。 なお、裏側は、それ以前、8-9世紀ころの建物を再現している。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:政庁正殿内部>>
藤原経清や源義家などの人物が居並ぶ。大河ドラマの役者がモデルになっているような、いないような。

えさし藤原の郷

<<えさし藤原の郷:政庁全景>>
義経持仏堂へ行く途中で、政庁の全景を見ることができる。 園内は、トイレでも、立派な門と塀があり、お屋敷のような感じがする。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:都大路>>
角から、侍の一団が出てきそうな・・。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:義経持仏堂>>
源義経が最期を迎えた持仏堂。縁先には、立往生の弁慶が立っている。

えさし藤原の郷

<<えさし藤原の郷:経清館の門>>
経清館と清衡館。 平安時代末期の武家屋敷。 時代や、地位が異なるため、建物の造りも異なっている。

館の門は、戦国時代の砦の門としても、ドラマなどで出てきているのではないか。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:中村の郷>>
大河ドラマ「秀吉」で使用された、藤吉郎の家族が住む中村の家。 セットだけあって、屋根の藁が落ちて、ビニールがむき出しになっている。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:アラハバキ>>
古代信仰の霊場を再現。 建てられた石の周りを、放射状に石が取り囲む。 作り物とはいえ、パワースポットのような雰囲気になっている。

えさし藤原の郷

<<えさし藤原の郷:金色堂>>
御存じ金色堂。 平泉中尊寺の金色堂も覆堂がなかったころはこんな感じだったのだろうか。

わざわざ、言うまでもないが、本物と比べるべくもない。 外見は金というよりは、黄土色といったほうがよい。内部も、仏像が少なく、さびしい感じがする。 いや、言うまでもないことであった。

えさし藤原の郷
<<えさし藤原の郷:伽羅の御所>>
寝殿造りの建物。藤原秀衡の伽羅の御所を模している。 正面のメインの建物だけでなく、脇や裏にある対屋まで、丁寧に作られている。

えさし藤原の郷


最初は、何で平等院鳳凰堂がここにあるのかと思った。 近寄ってみると、かなり縮小され見えないところが省略されている建物であった。

平泉にあった無量光院がモデルであり、無量光院自体が鳳凰堂をモデルにしているため、 最初に鳳凰堂と思ったのも間違いではないようだ。

中尊寺
<<中尊寺:月見坂>>
次は中尊寺。
藤原の郷からは、高速を使って30分ほどの距離にある。

連休二日目で、昨日が天候に恵まれなかったため、どっと人が出ることが予想され、 駐車場に苦労するのではないかと考えていたが、比較的スムーズに、最寄りの駐車場に入れることができた。

中尊寺

最初の、やや急こう配の月見坂を上る。

中尊寺


門があって、実質的には月見坂はここまで、かな?

中尊寺
<<中尊寺:弁慶堂>>
本尊勝軍地蔵菩薩。
傍らに、源義経と弁慶の木像が置かれ、通称を弁慶堂という。
文政9年(1826年)の再建。

中尊寺
<<中尊寺:東物見の桜>>


中尊寺

<<中尊寺:地蔵堂>>
本尊地蔵菩薩。
明治10年(1877年)の再建。

中尊寺
<<中尊寺:本堂>>
関山中尊寺は、慈覚大師円仁の開山とされる天台宗のお寺であるが、 実質的には奥州藤原氏の初代藤原清衡によって開かれ、 奥州藤原氏のゆかりの寺として有名である。 なお、山形立石寺や松島瑞巌寺も、慈覚大師の開山とされる。

中尊寺


本尊は釈迦如来。
本堂の建物は、明治42年(1909年)の再建。

中尊寺
<<中尊寺:不動堂>>
本尊不動明王。
昭和52年(1977年)建立。

中尊寺
<<中尊寺:峯薬師堂>>
本尊の丈六薬師如来は、現在讃衡蔵に安置されている。
建物は、元禄2年(1689年)再建され、昭和57年(1982年)改築された。

中尊寺

<<中尊寺:弁財天堂>>
本尊は弁財天十五童子。
建物は、享保元年(1716年)の建立。

中尊寺
<<中尊寺:金色堂>>
御存じ国宝の金色堂(の覆堂)。
本尊は阿弥陀如来。
金色堂は、天治元年(1124年)の建立。

中尊寺
<<中尊寺:経蔵>>
本尊の文殊五尊像は、現在讃衡蔵に安置されている。
保安3年(1122年)の創建。建武4年(1337年)の火災で上層部を焼失したと伝えられるが、 古材をもって再建したものと考えられている。

中尊寺

<<中尊寺:旧覆堂>>
金色堂を風雪から守るため、正応元年(1288年)に鎌倉幕府によって建てられたとされているが、 学術的な研究によると室町時代中期の建築と推定されている。

中尊寺
<<中尊寺:白山神社能舞台>>
嘉永6年(1853年)の再建。
近世の能舞台遺構としては東日本唯一と言われる。

中尊寺

<<中尊寺:能舞台から釈迦堂への道>>
木の根と階段が区別できなくなっている。