2019年5月4日 今年は10連休とかで、行楽地は大賑わいのはず。家で過ごすにしくはないと思うのだが、連日の好天気に誘われて、 お手軽に弥彦神社へ、遅咲きの桜を目当てに出かけてみた。 |
![]() <<酒呑童子神社:五重塔>> |
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<<弥彦神社:遅咲きの桜>> 第一駐車場から、本殿に向かう途中に桜苑がある。 ここには、早咲きの桜と遅咲きの桜の二種類があり、早咲きは他の桜とほぼ同じ時期に咲くのだが、 遅咲きはゴールデンウィークの前後が見ごろとなる。 少し遅れたかなといった桜もあるにはあるが、満開の桜もまだ見ることができた。 奥さんおすすめの鬱金(うこん)は、すでに遅かったらしい。 |
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<<弥彦神社:桜苑の石碑>> 桜苑の奥まったところに、大きな石碑がたっている。 表面の文字がよく読めないので、何の石碑なのだろうと裏に回ってみた。 昭和31年の正月、約3万人の二年参りの民衆が殺到し、拝殿に向かうものと参拝が終わって戻るものが、 隋神門前の石段付近でぶつかり、将棋倒しとなって、124名の死者と多数の重傷者を出した事件が起こった。 石碑には、この死傷者を悼んで、北白川神宮祭主から贈られた御歌が刻されている。 |
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<<弥彦神社>> 東参道の入口。 第一駐車場の脇。ここから、桜苑を抜け、二の鳥居・拝殿へと通じている。 弥彦神社は、駅から門前の商店街を通り一の鳥居をくぐって拝殿に向かう表参道が別にあるが、 それは途中で左に折れて二の鳥居に向かう。 東参道はほぼ直線の道であるので、こちらのほうがメインのような気になる。 |
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<<弥彦神社:拝殿>> 背後はご神体の弥彦山。 祭神は、天香山命(あめのかごやまのみこと)。 正式名称は「いやひこじんじゃ」というが、地名などは「やひこ」となっており、 「やひこじんじゃ」のほうが知れ渡っている。 現在の拝殿は、大正5年(1916年)の再建で、従前の建物は現在の宝物殿付近にあったという。 門前町、一の鳥居、宝物殿と、ほぼ一直線になっており、現在の拝殿との位置関係も、納得できる。 |
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<<酒呑童子神社:五重塔>> 道の駅国上のそば、国上山のふもとに、酒呑童子神社がある。 神社には似つかわしくない五重塔が立っている。 平成9年(1997年)建立。地元の大工さんによる手作りだそうだ。 酒呑童子は、越後の国の生まれであり、国上寺の稚児であったという伝説があるそうだ。 |
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<<国上寺:ボケ封じ地蔵>> 国上山国上寺(くがみさんこくじょうじ)といい、現在は真言宗豊山派の寺院である。 和銅2年(709年)、弥彦神社の御祭神の託宣により建立されたとされる、越後一の古刹である。 国上山は、弥彦山の隣、日本海側に連なる弥彦連山の南の端にある。 |
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<<国上寺:本堂>> 本堂の四面には、寺に所縁のある英雄を描いた「イケメン官能絵巻」が公開されている。 描かれているのは、上杉謙信、源義経、武蔵坊弁慶、良寛禅師、酒呑童子の五人である。誰がどこにいるのか・・。 |
![]() =南(正面)= |
![]() =東= |
![]() =北= |
![]() =西= |
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<<国上寺:大師堂>> 大師堂の前には、倒れて保存用の屋根に覆われた古松がある。「五鈷掛の松」という。 弘法大師が唐から帰朝する際、真言密教の発展のために投じた、 独鈷、三鈷杵、五鈷杵のうち、五鈷杵がこの松にかかったとされる。 この寺は、それを機に、真言宗のお寺になったとか。 なお、三鈷杵は高野山の三鈷の松にかかったとされ、独鈷、五鈷杵は他にも各地に伝説があるという。 |