2019年6月9日 まず、函館山の夜景はどうしても外せないところである。そして五稜郭、お城好きとしてはここまで来て見逃す手はない。 他に、函館には、古くからの港町としての時代を感じさせるものがたくさんある。 あれもこれも、見たいのはやまやまではあるが、涙を呑んで、かなり絞った感じの予定にした。 |
![]() <<函館山夜景>> |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
<<五稜郭>> 洞爺湖畔から、一気に五稜郭へ。 ここは、榎本武揚や土方歳三らが奮戦した場所であり、日本では珍しい稜堡式の城郭である。 同様の星形城郭は、長野県佐久市の龍岡城などがあるが、一般的に五稜郭というとここを指すことが多い。 お城というと思い浮かべる天守閣はここには元々ない。 火砲の発達により、より死角をなくした城郭の形態としてヨーロッパで発展した形式という。 五稜郭は、幕末の函館開港に伴う箱館奉行所の設置場所としてこの地に築造が始まり、元治元年(1864年)に竣工した。 だが、戊辰戦争の終盤に、榎本武揚の率いる旧幕府軍に占領され、箱館戦争の舞台となるも、 新政府軍の猛攻にあい、明治2年(1869年)に、榎本らの降伏により開城された。 以降、大正2年(1913年)に五稜郭公園として整備、一般に公開されて今に至る。 城内のソメイヨシノは、その際に植樹されたものであり、現在も1600本が残っている。 五稜郭には、1ヶ所だけ、郭外に出丸のような、半月堡と呼ばれる三角形の土塁がある。 <<五稜郭:一の橋>> 一の橋は、場外広場から半月堡にかかる橋で、いわば正門にあたる。 今どきの、五稜郭おもてなし隊の行進が行われていた。 <<五稜郭:二の橋>> 二の橋は、半月堡から堡塁にかかる橋。ようやく、五稜郭の中に入れる。 |
![]() ![]() ![]() |
<<五稜郭:箱館奉行所>> 二の橋から堡塁に入り、土塁を回り込むように中に入っていくと、箱館奉行所の建物がある。 二の橋からみると斜めに建てられている。どこを向いているんだろう? 正五角形の頂点が南を向いて、その脇の南西側に半月堡と二の橋がある。函館奉行所は、真西に正面を向けている。 底辺は北を向いていて、裏門橋がかかっている。とうことかな。 現在の建物は、平成22年(2010年)に復元・公開された。 当時の資料がかなり残っていたらしく、同じ材料・同じ工法で復元されているという。 郭内には、松の古木が多く残っている。 創建当時のものらしく、樹齢150年の古木には、通し番号のプレートが付いている(全部で100本あるとか)。 公園を見下ろすように立っているのが五稜郭タワーである。 |
![]() ![]() ![]() |
<<五稜郭:函館奉行所内部>> 内部の撮影は自由である。 最近は、こうゆうところが多くて助かる。 天井裏の組み物も、忠実に再現されている。 わざと、天井に穴をあけて、見せている。 |
![]() |
<<五稜郭タワー:五稜郭>> なかなか一枚のフレームの中に全体が収まらない。 収められたと思ったら、ガラスの反射が写りこんでしまった。 五稜郭タワーは、平成18年(2006年)に完成した高さ107mの展望塔である。 五稜郭が一望のもとに見下ろせるとともに、函館市内も見渡すことができる。 タワー自体は、余計なものがなく、清潔で明るい雰囲気。 とても居心地の良い空間だった。 |
![]() |
<<五稜郭タワー:函館山>> 五稜郭の反対側には、函館山がある。 一番高いところにテレビ塔があり、その下が展望台。 見終わった後、階下の五島軒で函館カレーをいただいた。 |
![]() <<五稜郭タワー>> |
![]() |
<<函館市旧イギリス領事館>> 五稜郭はどうしても行きたかった場所だが、その次には迷ってしまった。 結局、元町の教会群の散策に落ち着いた。 駐車場の隣に、最初のポイント「函館市旧イギリス領事館」がある。 開港直後から、太平洋戦争の直前まで、イギリス領事館として使用されていた。 基坂という坂道の途中にある。この付近は函館山に向かって、坂道になっている。 |
![]() |
<<旧英国公使館:内部>> 基坂の上にあり、函館港がよく見渡せる。多分、領事も、双眼鏡で覗いていたのだろう。 ということで、双眼鏡を覗いている領事の銅像が、領事室に置いてある。 展示物の中に当時のアジアの絵図がある。 当然、箱館中心ではあるのだが、江戸や大坂の名はなく、上海や香港などが大きく描かれており、 海からみた距離感覚の違いが、意表をついていて、面白いと感じた。 |
![]() |
<<ペリー提督来航記念碑>> イギリス領事館の向かいに、ちょっとした立木の一角があり、この銅像が立っている。 黒船で有名なペリー提督は、嘉永6年(1853年)浦賀に来航して日本全体を震撼させた。 翌年、日米和親条約が締結されたのち、開港地として選定された箱館港の視察のために、当地を訪れている。 背後に函館山を組み合わせてみた。 |
![]() |
<<旧北海道庁函館支庁庁舎>> 旧函館区公会堂は修理中で見学できず。 基坂を上り切った突き当りに元町公園があり、その一角に旧北海道庁函館支庁庁舎がある。 現在は、観光案内所。 |
![]() ![]() ![]() |
<<八幡坂>> 港から函館山に向かって、幾筋かの坂道がある。 元々の函館の中心部であり、函館をイメージする風景として欠かせないものである。 今回は、イギリス領事館前の基坂から、元町教会のある大三坂までを、たどることにした。 八幡坂は、その途中にあり、坂を上りきったところには函館西高がある。 ここからは、坂と港が、良い構図で収まってしまう。 高校の前には、にわかカメラマンの列ができていた。 この高校は、演歌界の大御所、北島三郎の母校だそうだ。 でも、この坂道を毎日通うのは大変だろうな。 途中で見つけたレストラン。 そんなにレトロでもないのだけど、郵便ポストがなじんでいる。 街の雰囲気にあったおしゃれなお店。 |
![]() ![]() ![]() |
<<函館ハリストス正教会>> 二十間坂を登りきったところ、元町公園からの道が交わった角に、函館ハリストス正教会がある。 安政5年(1859年)にロシア領事によって領事館内に聖堂が建てられたのが始まりで、 その翌年に、現在地に移転し、主の復活聖堂が建築された。 明治40年(1907年)の函館大火により焼失したのち、大正5年(1916年)に再建されたものが、現在の聖堂である。 見るからにロシア風の建築物(ロシアビザンティン建築の影響)である。 なお、ハリストスとは、キリストのギリシャ語風の読みであり、 屋根に掲げられた十字架は、八端十字架といい、よく見る十字架の上下に二本の横棒がついている。 主に、ロシア正教系の教会で掲げられている形式である。 ![]() |
![]() |
<<函館聖ヨハネ教会>> 明治11年(1878年)に、イギリス人宣教師の手によって開かれた。 プロテスタント英国国教会系の教会である。 残念ながら、内部は公開されていなかった。 現在の聖堂は昭和54年(1979年)の建造で、壁の十字架が印象的であり、屋根も十字架である。 |
![]() ![]() ![]() |
<<カトリック函館元町教会>> 正教会、プロテスタントと来て、次はカトリックの教会。この街角には函館元町を代表する三教会が揃っている。 安政6年(1859年)にフランス人宣教師によって創建され、明治10年(1877年)に最初の木造の聖堂が建立された。 現在の聖堂は、大正13年(1924年)の再建である。 堂内の四周には、キリスト処刑から復活までの物語の絵が掲げられている。 主祭壇を含めこれらの絵画は、ローマ法王ベネディクト15世からの贈り物だという。 元町の三教会は、夜間ライトアップされており、函館山からの夜景の一部分となっている。 |
![]() |
<<立待岬>> 函館山の裏手には、立待岬がある。 墓地の中の細い道を抜けると、平坦な広場と駐車スペースがあり、その先が断崖となって海に落ちている。 表側の市街地と比べると、すっかり趣の異なる景色が広がっている。 |
![]() |
津軽海峡を挟んで対岸の下北半島や、津軽半島もかすかに望むことができる。 下北半島は私にも見ることができたが、津軽半島は見えなかった。 奥さんは、津軽半島が見えるといったのだが・・。もっとも、奥さんは視力はよいので、見えたのかもしれない。 |
![]() <<立待岬>> |
![]() |
<<函館山夜景>> 有名な函館山の夜景。 観光バスで、夜景ツアーに乗った。夕食後の7時半過ぎに出発し、函館山を往復するコースである。 空気も澄んでいて、きれいな夜景を堪能することができた。 明日の札幌の夜景と比べると、函館市街の狭い範囲に限定されているために、コントラストが強調されているように感じる。 今日は、函館泊まり。 |