2019年9月13-14日
 予定が順調に進み、前日の夕方に富士見湖鶴の舞橋を訪れることができた。 また、佞武多の館の閉館時間にも間に合い、豪華な立佞武多(たちねぷた)の実物も拝むことができた。
 五所川原から竜泊ラインを抜けて龍飛崎まで。 今日中に青森市内を経由し、陸奥湾を半周して、下北半島のむつ市まで足を進める予定。

高山稲荷
<<高山稲荷>>

鶴の舞橋

鶴の舞橋

<<富士見湖:鶴の舞橋>>
木造の三連太鼓橋。全長は300m。

平成6年(1994年)に完成した新しい橋で、鶴が羽を広げたような優美な形をしている。 岩木山を背景に富士見湖にかかる美しい橋である。

一帯は、富士見湖(廻堰大溜池)を中心とした公園として整備されており、四季折々の憩いの場となっている。

五所川原佞武多館

五所川原佞武多館

<<五所川原佞武多館>>
五所川原のねぷたは、立佞武多と言って縦に長い佞武多で有名である。 青森のそれはどちらかというと横長であり、弘前のそれは扇型をしている。

実物は、高さ20mを超えるものもあり、この展示館自体が、5階建てくらいの高さがある。 実際に使われた佞武多が展示されており、お祭りの際には、この館から直接外に出ていくという。
(ちゃんと、出口がある)

夕方5時を過ぎていたのだけど、快く受け入れていただけた。 この展示館は、夏場(4月〜9月)は夕方7時まで開いており、観光客にはとても都合の良い時間帯になる。 5時で閉館になるところだと、お目にかかることができなかった。

もちろん写真撮影は自由、結果として、このようにすてきな写真をとることができた。

五所川原佞武多館
     <<纏>>

五所川原佞武多館
    <<かぐや姫>>
五所川原佞武多館
 <<神武天皇金の鴉を得る>>
斜陽館

<<斜陽館>>
五所川原に泊まって斜陽館に寄らないわけにはいかない。 9時開館と聞いていたので、ゆっくりといったのだが、すでに開いていた。 やはり休日ということが考慮されたのだろう。

ここは作家太宰治の生家として知られている。 ここが個人のお屋敷とは信じられないくらいの大豪邸である。

斜陽館
<<斜陽館:内部>>
太宰が生まれる2年前の明治40年(1907年)に、太宰の父津島源右衛門によって、 当時経営中の金融業店舗を兼ねた住宅として建造された。

その後、戦後の農地改革で津島家の手を離れ、 昭和25年(1950年)から平成8年(1996年)まで、旅館として営業したのち、 金木町(元五所川原市)の所有となり、平成10年(1998年)太宰治記念館として一般に公開された。



斜陽館

板の間や台所は、吹き抜けで木組みが見えている。 明り取りも開いていて、旧家にしては明るい空間になっている。

斜陽館


ふすまを外すと、63畳の大広間としても使用できる。 仏間の仏壇は一間半幅の豪華なもの。

斜陽館

欅づくりの大階段。日本家屋にはそぐわない。古いお役所なんかにありそうな感じ。 狭い空間で、なかなか一枚の構図に収まらない。

階下が店舗になっていたらしい。

斜陽館


二階から内庭を望む。左側の塀の向こうは道路である。

高山稲荷
<<高山稲荷>>
斜陽館を出て西方、海に向かって進む。 町らしいものがない普通の農村風景が続くが、20分ほどで鬱蒼とした林に包まれ、高山稲荷に到着する。

時々、なぜこんなところに、こんな立派なお寺・神社があるのだろう、という気にさせられる場所がある。 ここもそんな場所の一つ。 いきなり巨大な大鳥居が道をまたいでお出迎え。 駐車場には、大きな参集殿(信徒会館?)が・・。かといって、参拝料をとるわけでもない。



高山稲荷

高山稲荷
<<高山稲荷:拝殿>>
高山稲荷の由緒ははっきりとしていないらしい。なんでも、創建当時の記録は火災等で失われたとか。 残っている話では、鎌倉期から室町にかけてこの地を支配していた豪族安倍安東氏の創建によるものらしい。

十三湖付近は、当時(平安末期から室町中期)にかけて、十三湊(とさみなと)と呼ばれ、 蝦夷地のアイヌと和人との重要交易拠点として栄えていた。 初期は、奥州藤原氏が支配下におさめていたが、その後、安東氏の本拠地となった。

当然のことながら、安東氏の祈願所として、一大霊場が十三湖付近にあり、その一部がこの地にあったのかもしれない。 安東氏の没落と共に、この地は南部氏の焼打ちにあって消失し、高山一帯にその名残を残すのみとなった。


<<高山稲荷:山王神社>>
十三湊から移ってきたのが、この山王神と言われている。ということは、この高山稲荷の源初の場所ということかな。

この鳥居は、山王鳥居と言い、山王社独特のものらしい。 めったにお目にかかれるものではない。

高山稲荷

<<高山稲荷:大島稲荷と三五郎稲荷>>
境内内には数多くの稲荷社が鎮座している。

いったんは没落した高山稲荷であったが、地域の人々の信仰の対象となってあがめられ、 江戸期に入ると稲荷神を祀るようになり、稲荷信仰の広まりと共に、 稲荷神を信仰する個人や団体が境内にたくさんの祠を建て始めた。 結果として、現在のような、いろいろの境内社も合わせてお祀りする形となったらしい。

なお、ここが稲荷神を祀るきっかけとなった経緯については、忠臣蔵と関係する話もあるらしい。

高山稲荷
<<高山稲荷:千本鳥居>>
境内から、石段を下ると、日本庭園が広がり、龍神宮が中島に建っている。

さらにそこを起点として、数多くの赤鳥居が坂上の神明社まで続いている。 千本には足らないが(二百本くらい)、緑の庭園の中をうねうねと蛇のようにのたうっている。

高山稲荷というと、まず、この構図の絵になってしまう。 圧倒される光景である。

高山稲荷

<<高山稲荷:神明社>>
千本鳥居の先にあるのが、神明社。 奥社のような感じかな。

この先には、数多くのきつね様や小さな祠が並べられている。 名もない、小さな祠が、最後の静謐の場を得ているのだろうか。

竜泊ライン
<<竜泊ライン:青岩付近>>
十三湖を過ぎ、小泊の集落を抜け、海岸線に出る。龍飛崎までの道を竜泊ラインという。

前半は、荒波の日本海や奇岩・滝などをながめながらの海岸道路であるが、途中から一気に山岳道路となり、 九十九折りの急上昇急カーブの連続となる。

竜泊ライン

竜泊ライン

<<竜泊ライン:眺瞰台>>
竜泊ライン唯一の展望スペース。

日本海をはるか目の下に、あそこからここまで登ってきたんだという満足感に浸れる。 ここから一気に龍飛崎まで下る。ちょっと一息つきたいところ。





<<竜泊ライン:眺瞰台から龍飛崎>>
左側中ほどにある白い建物が、龍飛埼灯台。その先に見える陸地は、北海道である。

ここから一気に駆け下りる。
龍飛崎
   <<眺瞰台から見た龍飛埼灯台>>

龍飛崎
<<龍飛崎:龍飛埼灯台>>
岬の先端の高台にあるため、塔自体はそれほど高くはない。塔高13.7m。

ようやくここでお昼をとることにした。 地元のお店で味噌ラーメンをいただく。

龍飛崎
<<龍飛崎:龍飛崎西側の海岸線>>
階段国道に続く旧道が海岸線を通っているが、それも途中まで。海岸沿いを抜ける道はないようだ。 元々は、東側に青森と通じる道があり、そちらが主たる道なのだろう。

龍飛崎
<<龍飛崎:龍飛漁港と帯島>>
津軽半島の先端。

龍飛崎

<<龍飛崎:津軽海峡冬景色記念碑>>
階段国道の降り口近く、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の記念碑。 ボタンを押すと、歌が流れる。

平舘灯台

<<平舘灯台>>
津軽半島から下北半島むつ市に向かう。 途中の道の駅たいらだてで休憩。 対岸は下北半島。ここに平舘灯台がある

さあ、むつまで頑張ろう。