2020年2月2日 二日目のコースは、真田家関連で上田城跡と、長野の定番の善光寺とした。 長野市は近いことや何回も行っていることで、じっくりと訪問することもない。 善光寺は、来年は御開帳ということなので、また人出が多くなりそう。 見るなら今年のうち、ではないけれど、真面目に見て回ることにした。 |
![]() <<上田城跡:西櫓>> |
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<<長野盆地の朝霧>> 前日に引き続き、というか前日以上の快晴。 気温が下がったらしく、霧がかかっていた。 ホテルの部屋からの景色。 本当は、反対側の北アルプスの見える方向が良かった。 |
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<<北アルプス遠望>> 山々の間から、白い峯が遠望できる。 松代PAに車を停めて、望遠で狙う。 多分、北アルプス。一番左の峯が鹿島槍ヶ岳らしい。その右の白煙に隠れているあたりに五竜岳、唐松岳が続く。 多分、あっていると思う。 |
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<<上田城跡:東虎口櫓門>> 上田城は、戦国時代の末に、武田家の家臣であった真田昌幸によって築城され、 武田家滅亡の後、織田・豊臣・徳川という覇者の群れの中で生き延び、 その間、徳川軍の攻撃を二度に渡って退けた名城である。 関ケ原の戦いで徳川方に従った真田信之(昌幸の子)は、戦後、一旦上田城を受け継いだが、 その後松代に移封され、この城は仙谷氏の居城となる。 北櫓及び南櫓はかつての櫓を移築復元したもの、両櫓を結ぶ東虎口櫓門は平成6年(1994年)の復元である。 木が生茂っている季節であったら、撮影できない構図。 <<上田城跡:真田石>> 北櫓の石垣にある真田石。直径3mほど。 ここが正面入り口。季節的な話で、残念ながら、櫓の中に入ることはできなかった。 今年は雪が少ないのだけど、この季節は雪で訪れる人もいないのだろう。 |
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<<真田神社>> 真田神社は上田城の本丸跡にある。 一番、目につくところに、幸村の大兜がある。あれ?前に来た時とは場所が変わっている。 2016年の春は鳥居の右側 ![]() 今年は鳥居の左側 ![]() 拝殿は大きくて立派なんだが、本殿はその後ろにあって比較的小さい。 本殿にここまで接近できるのも、めったにない。 ここには他にも、抜け道ではないかと言われる真田井戸などもある。 |
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<<上田城跡:本丸跡>> 本丸内は公園になっており、木立も多く、ゆっくりできる雰囲気がある。 |
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<<上田城跡:尼が淵>> 本丸跡から、尼が淵に降りてきた。 ここの石垣や岩山の感じは、見るたびに心惹かれるものになっていく。 不思議な魅力がある。 上田城の一番上田城らしいところと言えるかもしれない。 |
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上田城本丸。冬だというのに、あふれんばかりの緑。そして木漏れ日。 |
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<<胴合橋>> 言われないと気づかない。そんなに古そうな橋でもない。けど、傍らの石碑にその由来が書かれていた。ちょっと、身震いをした。 山本勘助翁鎮魂碑建立の由来(一部) (山本勘助は)永禄四年の八幡原激戦では、足軽隊将として出陣し、自ら信玄に進言した作戦「キツツキ戦法」を上杉謙信に見破られ、信玄本陣は窮地に陥った。勘助はこれをみて、押し寄せる上杉軍の中に討ち入り、東福寺泥真木明神村付近で莞爾として朝霧とともに消えていった。六十二歳のときであった。生き残った家来が首を奪い返し、この地に持ち帰り、この橋の辺りで血まみれの首を洗っていると、見覚えのある主君の鎧を着した胴体が流れつき、首と胴体をつなぎ合わせたところ、ぴったり一致した。家来たちは、亡骸を橋のたもとに手厚く葬った。この橋を胴合橋と呼んだ。 |
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<<善光寺:本堂>> 善光寺は何回も訪れているのだけど、本堂の周りだけで済ませることが多く、 写真もそれほどとっていない。 今回は、折角の機会なので、時間を気にせず、回りたい。 善光寺は、日本において仏教が諸派に分かれる以前からの寺院で、宗派の別なく宿願可能な霊場である。 本尊は、絶対秘仏の一光三尊阿弥陀如来で、仏教伝来の折に百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像とされる。 廃仏派の物部氏によって捨てられたものを、信濃の国司の従者本田善光が本国に持ち帰り、お祀りした。 皇極天皇三年(644年)には、勅願によって伽藍が造営された。 その際、本田善光の名をとって「善光寺」と名付けられた。 善光寺の住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の二人が務める。 本堂は、宝永4年(1707年)の竣工。国宝。 屋根は撞木造りと言い、入母屋の屋根を丁の字に組み合わせた形をしている。 |
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<<善光寺:大勧進>> 山内天台宗の本坊。大本願とともに善光寺の運営を担っている。 大勧進貫主は善光寺住職を兼ねる。 わかってみると不思議はないのだが、お寺が普通にある。それもかなり大規模な・・。 |
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<<善光寺:濡れ仏(延命地蔵)>> 享保7年(1722年)の建立。 八百屋お七の冥福を祈って建てられたという伝説がある。 |
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<<善光寺:六地蔵>> 昭和29年(1954年)の再建。 |
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<<善光寺:仲見世>> 仲見世には、由緒のありそうな渋い店が多い。 天気の良い日曜の午後ということで、人が多く出ている。 やっと、観光地に来た気分になるが、多すぎると不機嫌になる。困ったものだ。 |
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<<善光寺:釈迦堂>> 仲見世の中ほどに横道があり、突き当りに小さなお堂がある。 本尊は、珍しい等身大の釈迦涅槃像。 ただし、特別拝観の日にしか見ることができないらしい。でも、特別拝観日っていつ? |
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<<善光寺:大本願>> 山内浄土宗の本坊。大勧進とともに善光寺の運営を担っている。 このお寺は尼寺で、住職は「善光寺上人」と呼ばれる。 善光寺上人は、伊勢慶光院、熱田神宮誓願寺住職とともに、日本三大上人とされ、善光寺の住職も兼ねる。 |
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<<善光寺:山門>> 寛延3年(1750年)の建立。 |
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<<善光寺:山門から本堂>> 来年は御開帳の年らしい。 でも、本尊は秘仏であり、数えで7年毎の御開帳(丑と未)の際であっても、 前立本尊が分身として公開されるのみである。 山門に登ってみた。中は撮影禁止であるが、外はOKということで、四方を撮ってみた。 欲を言えば、金網が邪魔といったところかな。 |
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<<善光寺:山門から仲見世方向>> 今日は、仁王門が修復中(屋根の葺き替え)ということで、外観を見ることができない。 ただ、工事の覆いに窓が開いていて、仁王様を拝むことができた。 |
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<<善光寺:山門から経蔵>> 経蔵は、宝暦9年(1757年)の建立。 中に輪蔵があり、一切経が収められている。 脇についている取っ手を推すことで、全体を回すことができる。 経文を読まなくとも、これを回すことによって、同じ功徳を得ることができるといわれる。 奥さんと二人で、なんとか回すことができた。 |
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<<善光寺:爪彫如来>> 浄土真宗の開祖親鸞聖人がこの地に逗留されたとき、爪で彫られたという、石の阿弥陀如来像である。 絵のような繊細なタッチであり、一見の価値がある。 |
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<<善光寺:鐘楼>> 嘉永6年(1853年)の再建。 ここに元々あった銅鐘(大鐘)は、正和2年(1313年)に制作されたもので、甲府善光寺に現存している。 |