2020年7月25日 本格的な雨になった。今回の旅の最大の目的地、竹生島宝厳寺。そして西国三十三カ所の33番札所、華厳寺。 今日は2カ所だけなので、あまり雨でも苦にならない日程だ。 船の時間を気にして参拝時間を左右されたくなかったので、竹生島へは朝一番で渡ることにした。 これなら、ホテルから直接港へ行けばよい。天候の問題で、船が欠航になることだけが心配であった。 |
![]() <<竹生島:都久夫須麻神社>> |
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<<長浜港:竹生島クルーズ>> 竹生島には、長浜港からクルーズ船が出る。 駐車場に車を置き、乗船時間は30分ほど、竹生島に1時間半ほど滞在し、また長浜港に戻ってくる。 他に、湖の対岸、今津港と往復する便や、長浜港と今津港を行き来するルートもある。 また、彦根港や、海津大崎港からの便もある。 幸いなことに、天候の問題もさほどなく、出港が決まり、いざ出発。
長浜城は、秀吉が初めて城主となった城であるが、大坂の陣の後廃城になる。 当時の建物の一部は、彦根城や市内各所の寺社に残っている。 現在の天守は、昭和58年(1983年)の再建。 長浜びわこ大仏は、平成6年(1994年)の建立、像高28m。 時節柄、船の乗客はそれほど多くない。 船室ではマスクが必須であったが、雨も小やみになったので、ほとんどデッキに出てマスクを外していた。 | |||
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<<竹生島>> 竹生島は、琵琶湖の中で2番目に大きな島で、神が住む島とも言われている。 一昨日に訪れた葛籠尾崎の南2kmの地点にある。 周囲2km、面積0.14km²、標高197m。 島全体が花崗岩の一枚岩でできており、切り立った崖で囲まれている。 島の付近は、琵琶湖の中でも特に深いところで、島の西に琵琶湖の最も深い地点(104m)がある。 住宅などは見当たらず、夜間は無人島になるらしい。 <<竹生島:宝厳寺全景>> 竹生島は、元々神仏一体の聖地であった。 明治の神仏分離令により、宝厳寺と都久夫須麻神社(竹生島神社)に分けられた。 なお、竹生島弁才天は、江の島、厳島と並んで、三大弁才天のひとつに数えられる。 | |||
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<<宝厳寺>> 島に上陸すると、売店の先に石段がある。 岩でできた島だから、平らな場所があるはずもない。いきなり山登りということになる。 港には竹生島を歌った「琵琶湖周航の歌」の歌碑があった。 (写真の左下に写っている。) 瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に 抱かれて 眠れ乙女子 やすらけく | |||
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石段は全部で165段。本坊や月定院などの大きな建物を左に見て、石段を上る。 宝厳寺は、神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により、僧行基が大弁才天を祀ったのが起源とされる。 当初は本業寺(ほんごうじ)といったが、都久夫須麻神社と次第に一体化し、 後に宝厳寺(ほうごんじ)と呼ばれるようになった。 中世以降、たびたび火災によって堂宇を消失し、その都度復興しているが、 永禄元年(1558年)の大火後、豊臣秀頼の命により伽藍が復興された。 現存する唐門、観音堂、渡り廊下、都久夫須麻神社本殿(当時の本堂)はその際のものである。 唐門は元大阪城の極楽橋の一部、本堂は伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。 明治の神仏分離令の際に、宝厳寺と都久夫須麻神社と分けられ、それまでの本堂が神社の本殿とされた。 宝厳寺は、しばらく本堂のない状態が続いたが、昭和17年(1942年)、現在の本堂が再建された。 | |||
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<<宝厳寺:瑞祥水>> 「大弁才天」の石柱のわきに、瑞祥水という水場がある。 驚くなかれこれは井戸水、岩でできた島なのに井戸水だという。 井戸が掘られたのは、平成14年(2002年)のこと。 大弁才天の御託宣により工事を始め、地下230mで、清水を掘り当てたという。 | |||
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<<宝厳寺:本堂(弁才天堂)>> 昭和17年(1942年)の再建。 本尊は、大弁才天。秘仏であるが、60年に一度、開帳されるという。(次回は2037年とか) | |||
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<<宝厳寺:境内>> 本堂前は、わずかながら開けた空間が広がっている。 細かい雨が降っている。 | |||
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<<宝厳寺:三重塔>> 平成12年(2000年)の再建。 江戸時代の初期に焼失したものを、350年ぶりに、当時の工法や材料を用いて復元したという。 | |||
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<<宝厳寺:観音堂唐門>> 西国三十三観音霊場の第30番札所。 本尊は千手観世音菩薩。 唐門は国宝。島の中で、この門だけが色鮮やかに彩られている。 唐門は、秀吉の大阪城の遺構で、現存する唯一のものらしい。 | |||
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<<都久夫須麻神社:全景>> 船から見た都久夫須麻神社の全景。 手前が宮崎鳥居、その背後が八大竜王拝所(通称:竜神拝所)、その背後に本堂。 左手に見える屋根が宝厳寺観音堂。 | |||
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<<都久夫須麻神社:本殿>> 唐門から観音堂に入り、舟廊下(天井が舟底の形)を通って、都久夫須麻神社の本殿に出る。 本殿は国宝。 ご神体は、竹生島。 祭神は、 市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト) 本地垂迹説では弁才天に比定 宇賀福神(ウガフクジン) 浅井比売命(アサイヒメノミコト | |||
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<<都久夫須麻神社:宮崎鳥居>> 八大竜王拝所から宮崎鳥居を通して拝むのは、琵琶湖の神(竜神)である。 土器(かわらけ)を拝所から鳥居に向かって投げ、見事、鳥居をくぐり抜けると願いが叶うという言い伝えがある。 この日も、多くの人が、かわらけを求めていた。 | |||
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<<都久夫須麻神社:舟廊下の床下の構造物>> 舟廊下は、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を結ぶ、屋根付きの渡り廊下である。 つまり、国宝と国宝をつないでいることになる。 舟廊下の名前は、秀吉の御座船の船櫓の用材を使用して建造したことによる。 あるいは、天井の形式が船底天井であることからの連想かもしれぬ。 懸造りの豪壮な組み物が見える。 船から降りて、近くの食堂でお昼をいただく。 名物の、焼き鯖ソーメン。 セットと単品を二人で分ける。 | |||
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<<華厳寺:門前町>> 今回の旅の最後の目的地。 雨が少し激しくなってきた。 そのおかげで、緑が濃くなった。 総門を抜け、仁王門までの通りが長く続く。 思っていたよりも、門前の通りが長くて立派だ。 だが、雨のせいか、営業しているお店が少ない。 連休の途中なので、意外な気がする。 | |||
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<<華厳寺:仁王門>> 立派な、見応えのある仁王門だ。 宝暦年間(1750年代)の再建。 仁王門を通り過ぎたところに駐車場がある。 | |||
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<<華厳寺:参道>> 仁王門からもまだまだ参道が続く。 参道の先には石段が・・。 | |||
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<<華厳寺:鐘楼堂>> | |||
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<<華厳寺:本堂>> 西国三十三観音霊場の第33番札所。 結願のお寺になる。そして、西国札所の中で、唯一、関西以外(岐阜県)にあるお寺である。 本尊は十一面観音。秘仏。先回の開帳は平成21年(2009年)で54年ぶりとのことであった。写真も公開されていない。 本堂は、明治12年(1879年)の再建。 思ったよりも広く、奥行きのあるお寺であった。 後で調べて、見残したところがいくつか見つかった。 でも、ここ単独ではなかなか行きにくいとことだ。 ちょっと反省。 雨が激しくならないうちに、家に帰ろう。 ※翌日、大雨で帰り道が通行止めになってしまった。危ういところだった。 |