2020年9月18日 事前に通信販売で、白衣・輪袈裟・経本・納経帳を購入した。 ローソク、線香や数珠は家にあるものを、納経札はサンプルを印刷して持って行った。 参考書(旅ガイド)や、WEBでいろいろと調べ、間違いのないようにとは務めたのだが、 実際に、一番札所までは、どうなることかと心配だった。 |
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<<霊山寺(りょうぜんじ):仁王門>> 四国霊場第1番札所 竺和山霊山寺。 朝一番で、1番札所の霊山寺に着いた。まだ人がほとんどいない。 思った以上に立派な門と仁王様に迎えられる。 ![]() ![]() |
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<<霊山寺:大師堂>> 門前の売店はまだ空いていない。 不足分は、ここで整えればいいかと考えていたので、余分に時間を見ていたが、その必要もないようだ。 1番札所から10番札所までは、鳴門市から阿波市までの、北側の山沿いに集まっている。 お寺の間もそんなに離れておらず、短時間で集中して回ることができる。 敷地は、そんなに広くはないが、小ぎれいにまとまっていて、さすが1番札所にふさわしい、落ち着きがある。 |
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<<霊山寺:泉水池>> 童子が、池の端にある地蔵菩薩像を拝んでいる。 畏れ多いことだが、自分が拝まれているような写真になってしまった。 |
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<<霊山寺:本堂内陣>> 本堂の天井には、多くの灯篭が吊り下げられており、高野山の奥の院を思わせる。 また、天井絵として竜や星座が描かれている。 この寺は、天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。 弘仁6年(815年)に弘法大師がここを訪れ、竺和山霊山寺と名付け、 その時に、持仏の釈迦如来を納め、霊場開創祈願を行ったという。 本尊は、釈迦如来。 |
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<<霊山寺:多宝塔>> 応永年間(1394年-1428年)の建造。 ここでは最古の建造物である。 ぎこちなく参拝し、なんとかお経も読むことができた。 周りを気にしていては先にすすめない。 納経所で、御朱印をいただき、まずは無難なスタートとなった。 |
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<<極楽寺(ごくらくじ):仁王門>> 四国霊場第2番札所 日照山極楽寺。 どのお寺にも、立派な仁王門がある。ただ、中の仁王様は千差万別。 彩色鮮やかなものから、古色を帯びているものまでいろいろあって楽しい。 ![]() ![]() |
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<<極楽寺:手水舎と長命杉>> 境内に入ると大きな杉の木を目にする(写真右側)。 「長命杉」と言って、弘法大師の御手植えらしく、樹齢1,200年を超えるという。 |
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<<極楽寺:本堂>> 40段ほどの、ちょっとした石段を上ると本堂がある。 どのお寺でも、本堂にたどり着くまで、ある程度の石段を覚悟しないといけない。 奈良時代(710年-784年)、行基の開基という。 弘仁6年(815年)に弘法大師がここを訪れ、阿弥陀如来の姿を感得し、刻んで本尊としたという。 本堂は、万治2年(1659年)建立。 本尊は、阿弥陀如来。 |
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<<極楽寺:大師堂>> 本堂右の奥まったところに大師堂がある。 本堂と同じく、万治2年(1659年)建立。 時の徳島藩主蜂須賀光隆によって、多くの堂塔が再建された。 |
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<<極楽寺:境内>> 正面石段を上った先が本堂で、その右に大師堂がある。 石段の左手は薬師堂。右に庇だけ見えるのが観音堂。 奥の石段の下でこちらを向いて撮ったのが、三枚前の長命杉の写真。 二カ所目とあってやや落ち着いた。 この調子なら、予定以上に先まで進めそうだ。 |
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<<金泉寺(こんせんじ):仁王門>> 四国霊場第3番札所 亀光山金泉寺。 移動時間が短いので慌ただしい。ここの仁王様は、ちょっとギョロ目。 ![]() ![]() |
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<<金泉寺:本堂>> 朱塗りの欄干の橋を渡って境内に入る。正面に見えるのが本堂。 この寺は、天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創、金光明寺と名付けられた。 弘仁6年(815年)に弘法大師がここを訪れたとき、井戸を掘り黄金井の霊泉が湧き出でたことから、金泉寺と改めたという。 本尊は、釈迦如来。 今まで全部似たような開創物語。弘法大師はがんばっているな。 なお、本堂脇には、沙羅双樹の木(夏椿)が植えられている。 後で知ったため、写真もない。残念。 こんなことがあると、事前調査が大切だと思う。 何度も行ける場所ではないので、後に想いを残さないようにしたい。 |
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<<金泉寺:大師堂>> 朝、一緒になったお遍路さんは、大体一日同じ順番で回るため、あちこちのお寺でご一緒することになる。 若い男性のバイクでの一人遍路や、似た格好の夫婦など、いろいろの人たちがいる。 |
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<<金泉寺:六地蔵>> 後ろに見える多宝塔のような塔。多宝塔と思って近づいたところ、墓碑があり、個人の墓所だと分かる。 墓石代わりということか。 |
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<<大日寺(だいにちじ):鐘楼門>> 四国霊場第4番札所 黒厳山大日寺。 これは鐘楼門で仁王様はいない。 真言宗では大日如来を、宇宙の中心・万物の根源である最高の仏としているため、 大日寺は最も栄誉のある名前ということになる。 そのためか、大日寺という名前は、八十八ヶ寺の中で何ヶ寺かある。 鐘楼門は、平成30年(2018年)の再建。 |
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<<大日寺:本堂>> 慶安2年(1649年)の建立、寛政11年(1799年)の修復。 弘仁6年(815年)に、弘法大師がこの地において大日如来を感得し、1寸8分の像を自ら刻し、大日寺と称した。 本尊は大日如来。 他の多くの寺院と同じく、荒廃と再興を繰り返したが、 江戸時代の初期から中期にかけて、蜂須賀家が修復を行い、現在に至っている。 |
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<<大日寺:大師堂>> 文久3年(1863年)の建立。 |
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<<大日寺:大師堂内陣>> 正面の厨子の中には弘法大師像。 左右に、昼と夜の大師を描き分けた、白地と紺地の二枚の「両面大師」画が配置されている。 |
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<<大日寺:回廊の三十三観音>> 本堂の大師堂をつなぐ回廊に、西国三十三カ所の霊場の観音菩薩像を、安置している。 江戸時代中期の明和年間(1764年-1772年)の作で、最近修復されたようだ。 白顔が浮かび、金具や金線が、輝いている。見ていて飽きない彫刻が並んでいる。 |
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<<地蔵寺(じぞうじ):山門>> 四国霊場第5番札所 無尽山地蔵寺。 札所の十番までは、ほぼ徳島自動車沿いに並んでいる。 大日寺から地蔵寺へは、ちょうど、高速道の反対側の位置にある。 山から少し離れ、人里に降りてきた感じ。 仁王様ではなく、二天像(多聞天と持国天)が左右にいる。 彩色が間違っているのではないかと思うほど、写真を撮るのも気が引けるような感じで、ここはちょっといただけない。 |
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<<地蔵寺:本堂>> 左側の建物が本堂、八角堂を挟んで、右側が方丈。 弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が勝軍地蔵菩薩を自ら刻み、本尊として開創した。 本尊は延命地蔵菩薩で、勝軍地蔵菩薩を胎内に納めているという。 |
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<<地蔵寺:鐘楼と弘法大師像>> ほとんどの札所には、弘法大師像が建てられている。 オーソドックスな修行大師像。 |
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<<地蔵寺:大師堂>> 境内は、本堂と大師堂が向き合って建ち、その間に大きな銀杏の木がある。 たらちね大銀杏と言われ、樹齢800年を超えるという。 紅葉の頃は、一面の黄色のじゅうたんになるのだろうと思う。 |
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<<地蔵寺奥の院:五百羅漢>> 方丈の裏手、車で1-2分の所に、奥の院があり、等身大の五百羅漢像が納められている。 大正4年(1915年)の火災で被災し、現在残っているのは200体ほどだという。 芝(苔?)がきれいに整えられて、緑に包まれた空間になっている。 お堂の中の暗い雰囲気と、対照的で、ほっとする雰囲気である。 境内にこれだけ緑があるのは珍しい。 |