2020年11月22-23日 郡上八幡から下呂温泉へ。今回の目的は、実に下呂温泉に行くことだった。 充分に温泉を堪能し、高山によってから帰途に就くことに。 心配していた天気も、なんとか味方してくれたようだ。 |
![]() <<郡上八幡城>> |
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<<郡上市内:吉田川>> 郡上八幡市かと思ったら郡上市だった。 郡上市は、平成の大合併で平成16年(2004年)に誕生した。 郡上郡の7町村が合併したもので、旧郡上郡八幡村であった場所が、郡上八幡として知られている。 郡上踊りが有名であるが、古い城下町の街並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 紅葉の時期も過ぎ、そんなに混んでいないだろうと思ったのだが、思うように車を走らせられないほど混雑していた。 ようやく、昼食のお店の専用駐車場に車を入れて、一息つく。 この日のお昼は、おろしうどん。 吉田川沿いに出ると、渓流と川岸の石垣の上に建てられた建物が、素敵な空間を作っている。 |
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<<郡上八幡城:天守閣>> お城の頂上近くの駐車場へは、一方通行の歩行者と一緒の道になる。 混んでいることが予想されたのだが、上り口にすんなり入ることができた。 駐車場の前で少し待たされたものの、想定以上にすんなりとはいることができた。 永禄2年(1559年)、郡上一帯を支配していた東氏と戦った遠藤盛数が、牛首山(後の八幡山)の上に築いた砦が、起源である。 なお、山内一豊の妻はこの遠藤盛数の子だという説があり、城下に一豊とその妻の像が建てられている。 本能寺の変後、天正16年(1588年)に稲葉貞通が城主となって、大改修を行ない、現在の城郭の基礎を形作った。 遠藤氏、井上氏、金森氏、青山氏と城主が変遷して明治維新を迎え、廃藩置県によって廃城となる。 廃城の翌年の明治3年(1870年)に、石垣だけを残して、取り壊された。 昭和8年(1933年)、大垣城の天守を参考に、木造で復元された。 現存する、木造の再建天守の中で、最古のものである。 すでに紅葉の季節が過ぎ、ちらほら残っているだけではあるが、 この城の紅葉の真骨頂は、燃え盛るような紅葉の向こうに天守が見える光景にある。 まさに「天守炎上」と謳われる光景である。 |
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<<郡上八幡城:天守閣内部>> 再建天守であるが、木造であり、すでに80年以上経っているため、それなりの雰囲気を持っている。 中に入ると板がきしむ音が大きく聞こえる。 中央部が吹き抜けになっており、階段が設けられている。 |
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<<郡上八幡城:天守閣から郡上市内>> 郡上市内が、魚の形に見える。 郡上八幡城も天空の城である。 郡上八幡城から下呂温泉に向かう国道256線の堀越峠付近が絶好の撮影ポイントになる。 ただし、車を停める場所がないため、なかなか撮影は難しい。 今回も、車窓にとらえることはできたのだが、写真までは撮れなかった。残念。 |
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<<下呂温泉>> 下呂温泉は、確か3回目。奥さんは初めてらしい。 下呂温泉は、有馬・草津と並べて、日本三名泉と言われる。 天暦年間(947年〜957年)に発見され、その後、鎌倉時代中頃に、現在地から湧出し、名泉としての評判が高まったという。 |
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<<高山まつりの森>> 高山祭の屋台が見たくて、郊外の高山まつりの森に訪れた。 高山には、1998年の秋祭りと2013年の春祭りに訪れている。 人出が多く、遠景で眺めるばかりだった。 この施設では、間近からカラクリを見ることができる。 5分程度の実演が10分間隔で行われるため、1時間で全部のカラクリを見ることができる。 これらの屋台は、全て平成になってから作られたもので、実際にはまつりの時には、引き回されてはいないようだ。 でも、屋台の装飾やカラクリなどは、本物にも劣らない価値があると思われる。 |
![]() =竜王台= |
![]() =福寿台= |
![]() =金鶏台= |
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この施設は、岩山を繰り抜いてドームを作り、そこに展示してある。 入口からの通路には、実際の屋台のミニチュア(といっても2mほどある)が並び、それだけでも見応え充分。 |
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<<高山市内>> 柳橋から、筏橋方向を見る。 以前に来た時はお祭りのときだったので、人出が多いのは納得できたのだが、今回は、お祭りでもないのに、人が多い。 所々で、お店の前に列ができている。何の列かと思ってみると、飛騨牛のお寿司やみたらし団子。 手頃のもので、立ち食いするという、若者ファッションらしい。 思った以上の人出で、駐車場も一杯。 最初に当てにしていた場所も満車で、スマホで探して、鍛冶橋近くの駐車場の列に並んで、運よく入れることができた。 宮川の岸では、鯉が集まって子供たちの人気に。 高山市は、全国一の広さを持つ市で、東京都とほぼ同じ面積である。香川県や大阪府よりも広い。 ただ、そのほとんど9割以上が森林で、市街地は少ない。 戦国時代、金森長近が高山城を築き、元禄時代までは飛騨高山藩として金森氏の領地であった。 元禄以降は、幕府直轄領となり、高山陣屋が置かれた。 |
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上三之町通。 重要伝統的建造物群保存地区。 通りによって、人の多さが違う。食べ物屋や、立ち食いのお店があると、人が集まるらしい。 お昼は、高山ラーメンに飛騨牛ステーキを乗せていただく。 |