2021年4月27-28日
 温泉に行きたくなった。久しく出かけていない。GWは宿賃も高くなり、混雑するらしい。 ただ、仕事は休みなので、連休の始まる前に、温泉中心で計画した。
 一日目は赤倉温泉。上越妙高の付近は、見所が一杯。 でも、日程は限られているので、日帰りの露天風呂はあきらめることにした。

苗名の滝
<<苗名の滝>>

林泉寺

林泉寺

<<林泉寺:惣門>>
かつて、越後守護代長尾重景と、諸国行脚中の曹洞宗の高僧曇英慧応とが、越後柿崎の地で出会った。 重景は曇英の人柄と仏の教えに感じ入り、この地に庵を建て留まってもらった。

重景の死後、その息子能景は、曹洞宗の修行道場にふさわしい堂塔の建立を曇英に約束した。 明応6年(1497年)、17回忌供養の年、七堂伽藍が完成し、曇英を呼んで開山とした。

以降、長尾家、そして上杉謙信(能景の孫)以降は、上杉家の菩提寺となった。


惣門(左上の写真)は、春日山城(上杉謙信の居城)の搦手門を移築したもので、現存する唯一の春日山城の建築物である。


<<林泉寺:山門>>
大正14年(1925年)の再建。
扁額の「春日山」「第一義」は、上杉謙信の直筆。

山門には、立派な竜の天井画がある。 再建であるから、新しいものではある。 ただ、いろいろと調べたのだが、作者はわからなかった。

<<山門の天井画>>
林泉寺
林泉寺

林泉寺

林泉寺

<<林泉寺:本堂>>
平成9年(1997年)の再建。







本堂脇のトイレの入り口表示が、男性用が武将、女性用が姫君になっている。
林泉寺


林泉寺
<<林泉寺:墓所入口>>
本堂の脇に、墓所の入り口があり、奥には、上杉謙信の墓がある。

上杉家は、謙信の養子景勝が慶長3年(1598年)に会津へ、慶長6年(1601年)に米沢へと移封される。 林泉寺もこれに伴って移転したとの説もある。 ただ、開山以来の事物が残されており、正統を伝えている。

遺骸についても、米沢移転時に移されたとの説もあるが、はっきりしていない。

林泉寺
<<林泉寺:上杉謙信公墓所>>
立派なお墓である。 ただ、上杉謙信という名前に比して、素朴である。 亡くなられた当時のものといった感じがする。

林泉寺

<<林泉寺:川中島戦死者供養塔>>
入口から真正面に見えるのが、川中島戦死者供養塔。ひときわ大きな五輪塔である。 この墓地の主役のような扱いである。

苗名の滝
<<苗名の滝:滝までの道>>
新潟長野県境を流れる関川にある滝。 雪解け水を集め、特に春先の水量が多い。

駐車場への道が新しくなっており、ナビが役に立たない。 道路わきにある小さな看板(もう少し大きなものにしてほしい)を頼りに車を進める。

苗名の滝

遊歩道に入るとすぐ、大きな水音に迎えられる。
関川1号砂防えん堤である。

平成7年(1995年)の集中豪雨によって大量の土砂が流れ出し、下流域に甚大な被害をもたらした。 そのため、付近の景観にも気を配って整備された砂防施設である。

苗名の滝


山の中では、桜が咲いている。

苗名の滝

苗名の滝

<<苗名の滝>>
落差55m。

赤倉温泉

赤倉温泉

<<赤倉温泉>>
久しぶりの源泉かけ流し。 湯量も、湯温も十分満足できるお風呂。

暖炉では、薪が燃えている。