2021年7月24日
 小布施は2013年の秋に、志賀高原の帰りに立ち寄ったことがある。 その時は、すでに夕方も近く、下調べもほとんどない状態で、いつか再訪したいと考えていた。 よい機会であるので、ゆっくり町内を探訪することにした。

浄光寺
<<雁田薬師:浄光寺薬師堂>>

岩松院

<<岩松院:仁王門>>
岩松院は、長野県小布施町にある曹洞宗寺院。

この寺には、所縁の有名人が、三人いる。
福島正則・小林一茶・葛飾北斎である。

岩松院

<<岩松院:本堂>>
葛飾北斎は、当地の豪農商高井鴻山と江戸で出会い、83歳の時を初めとして、都合4回に渡って当地を訪れている。
本堂の天井画「八方睨み鳳凰図」は、嘉永元年(1848年)、89歳の時の作と伝えられる。



岩松院
<<岩松院:福島正則霊廟>>
豊臣秀吉の子飼いの家臣で戦国時代の雄、福島正則は、関ケ原で徳川方に味方し、広島に50万石の所領を得た。 しかし、家康の死後、居城広島城の無断改築の咎を受けて改易となり、当地(信州高井郡他)に所領替えとなった。

当寺は福島家の菩提寺となり、正則が寛永元年(1624年)に亡くなると、境内に霊廟が建てられた。



岩松院



岩松院

<<岩松院:蛙合戦の池>>
岩松院
小林一茶は信州柏原の生まれ。江戸で俳諧の道に進み、当地でも数多くの弟子を得ていた。

蛙合戦とは、春に、アズマヒキガエルの雄が、数少ない雌を奪い合うことを言う。 文化13年(1815年)、当地を訪ねた一茶が蛙合戦を見、 生後間もない病弱な長男千太郎を思って、励ましの句を送ったともいえる。

「痩せがえる まけるな一茶 是にあり」

浄光寺
<<浄光寺:仁王門>>
岩松院から1km足らずで、浄光寺に着く。

寺伝では、奈良時代の天平2年(730年)に僧玄明が開山したのが始まりと伝えられている。

この門では、紅白二体の仁王が左右を守護している。 伝えるところでは、作者が違うらしい。

浄光寺


一茶句碑
「山寺や 畳の上の 栗拾ひ」

浄光寺
<<浄光寺:薬師堂への石段>>
無造作に積み上げ、半ば崩れかけているような石段ではあるが、 腰をかがめて見上げると、石の鼻先が一直線になっている。

傾斜が一定ということかな。

浄光寺

<<浄光寺:薬師堂>>
現薬師堂は、昭和21年〜22年(1947年)に、解体修理が行われ、その際の発見資料により、 応永15年(1408年)の建立が明らかになった。



小布施

<<小布施町内>>
前回とは、季節も時間も異なっているのだが、様変わりしていて、まるで初めて訪れたようである。

北斎館・高井鴻山記念館・中島千波美術館と経めぐることにした。



当地で北斎は、祭台車の天井絵を表している。
北斎館にはその屋台が飾られている。

北斎館
上町祭屋台「怒涛図(男浪・女浪)」
北斎館
東町祭屋台「龍図」「鳳凰図」