2021年9月16日 今年も9月には四国へ行ってお遍路の続きをと思っていたのだが、コロナ禍によって、飛行機は減便になるは、 県外への移動の自粛要請は出るはで、結局断念せざるを得なかった。 (もっとも出かけていたら台風の直撃を受けるところだった) 代わりと言っては何だが、なかなか行けない佐渡に行くことにした。 仕事では数回、訪れているのだが、観光では初めて、度々行くこともできないので、とことん味わうつもり。 |
![]() <<清水寺:救世殿>> |
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<<新潟市内:新潟港佐渡汽船ターミナル>> フェリーに車を乗せるのは初めての経験。 どうなることかと思っていたが、係員の方の案内が親切で、まごつくことなく乗船することができた。 仕事の時はあまり外など眺めている余裕もなかったのだが、快晴ということもあり、 普段は見ることのできない川面からの景色を堪能した。 正面が佐渡汽船のターミナル。右奥に朱鷺メッセとホテル日航新潟の高層ビル。 |
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<<新潟市内:新潟市歴史博物館>> 旧新潟税関の建物もある、新潟市歴史博物館みなとぴあ。 <<新潟市内:市内遠景>> 正面のツインタワーは、入船みなとタワー (下左) 右手前に延びる突堤の先には、新潟灯台。なお、正式名称は、新潟港西区西突堤灯台と言うらしい。 (下右) ![]() ![]() |
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<<新潟佐渡航路:角田弥彦>> 上:おけさ丸と角田山・弥彦山 下:佐渡 姫埼灯台 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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<<新潟佐渡航路:両津港>> 無事に、佐渡両津港に到着。船から降りて、すぐに港の駐車場に入れ、港前の食堂でお昼をいただく。 |
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<<トキの森公園>> まずは、佐渡に来たらトキ、ということで、トキの森公園へ。 いろいろな展示もあるのだが、メインはやっぱり実物のトキが眺められるところ。 遠くからではあるが、飼育ゲージの中のトキを見ることができる。 赤い顔、長いくちばしは、すぐに見つけられるのだが、翼のトキ色は翼を広げないとみることができない。 何回かシャッターを押すことができたのだが、これはというものは撮れなかった。 案内係さんの言葉が心に残る。 佐渡には450羽以上のトキが実際に生活し空を飛んでいる。 稲刈りの終わった田んぼで、落ち穂を拾っているトキを見ることができる。 実際に、その後運転中に何度かトキらしい影を刈り取りの終わった田んぼで見ることができた。 |
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<<清水寺:仁王門>> ちょっとユニークなお顔の仁王さん。
清水寺は「せいすいじ」と読む。 大同3年(808年)、桓武天皇の勅により当地を訪れた賢応法師により開かれる。 京から離れた当地の人々も等しく観音菩薩の慈悲が受けられるよう、京都の清水寺に似せて当寺を作られたという。 車は、仁王門脇の狭い道を上る。参道の真ん中付近に広い場所があったので、そこに車を停めた。 一旦、下まで戻って、山門をくぐる。 参道の石段は、かなり荒れている。 でも、足元さえ気を付ければ、歩きにくいところも、危ないところもない。 石段の先に中門があり、その先は広い前庭になっている。 そして、目の前に救世殿がそびえたっている。 | ||
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<<清水寺:救世殿>> 京の清水寺を模して造られたというが、救世殿自体は奈良の長谷寺に似ている。 前庭からは、左右に救世殿にのぼる階段がある。 これも、仁王門からの参道と同じく、荒れ果てている。 その割に、舞台の土台になる木組みは比較的新しい。 しばらく崩れる心配はなさそうだし、舞台にも安心して出れそうだ。 | ||
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<<妙宣寺:仁王門>> 日蓮宗 由緒寺院 蓮華王寺妙宣寺。
<<妙宣寺:山門>> 日蓮の弟子である阿仏房日得が、自宅を寺として、弘安元年(1278年)に開創した。 日得は、俗称を遠藤為盛といい、承久3年(1221年)に順徳上皇佐渡配流の際に供奉して来た北面の武士であった。 順徳上皇の崩御後も妻の千日女とともに陵墓に仕え、称名念仏を怠らなかった。 | ||
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<<妙宣寺:番神堂>> 文永8年(1271年)日蓮が佐渡配流となった。 念仏信者の日得は、宗門の怨敵と考えて日蓮を責めたが、逆に教化されて法華信者となった。 その後は、夫妻揃って、日蓮の世話をし、他宗の迫害から守り抜いた。 文永11年(1274年)、日蓮は赦免され身延山に入ったが、夫妻は高齢のためこの地にとどまった。 | ||
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<<妙宣寺:宝蔵・祖師堂>> ここは戦国時代、地頭本間氏の居城であった。 上杉景勝が佐渡を支配することになり、代官直江兼続によって、妙宣寺に与えられたという。 境内には、正中の変(元亨4年(1324年))で佐渡に流された日野資朝の墓がある。 奥が宝蔵。手前が祖師堂。間を回廊でつないでいる。 祖師堂には、日蓮上人の木像が安置されている。 | ||
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<<妙宣寺:本堂・庫裏>> 左側が本堂。右側が庫裏。 | ||
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<<妙宣寺:五重塔>> 新潟県内に現存する唯一の五重塔。 文政10年(1827年)の建立。 佐渡相川の宮大工茂三右ェ門親子が、二代にわたって、日光東照宮の五重塔を模して建立したという。 ただ、資金難のため、一部未完成のままになっている。 | ||
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<<真野御陵>> 正式には「順徳天皇御火葬塚」。 順徳上皇は承久の変により佐渡配流となり、島に居ること22年、仁治3年(1242年)に崩御した。 翌日火葬され、その跡地に松と桜を植えて目印としたのがこの地である。 遺骨は翌年帰京したので、正式の陵墓は京都にある。 早い話が、ここには何も残ってはない。 ここで、火葬したという意味での旧跡である。 | ||
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<<真野湾>> ホテルの窓からは、眼下に真野湾が広がる。 流れ込んでいる川は、国府川。 | ||
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<<真野湾:夕日>> かろうじて夕日をほんの少し拝むことができた。 | ||
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<<八幡館:露天風呂>> 少し赤味がかったお湯。弱食塩泉だという。 湯に入っただけで、肌がつるつるする感じ。 |