2023年8月6-7日
 祭の後は、帰るだけ。奥さんがかねてから行きたがっていた、花巻(宮沢賢治)と遠野を回ることにした。

卯子酉神社
<<遠野:卯子酉神社>>

棟方志功記念館

棟方志功記念館
<<棟方志功記念館>>
青森には棟方志功記念館がある。

かつてから、棟方志功の作品にじかに触れたいと思っていたが、調べるうちに、年度末で閉館する予定と知った。 これは、今のうちに行っておかねばならない。

開館時間まで待たねばならないが、なんてことはない。

※所蔵品は、今後は青森県立美術館で展示されるという。


館内は、本人の意向で、一部を除いて写真撮影可になっている。

棟方志功記念館

棟方志功記念館







<<棟方志功記念館:わだばゴッホになる>>

 鍛冶屋の息子は
 相槌の火花を散らしながら
 わだばゴッホになる
 裁判所の給仕をやり
 貉の仲間と徒党を組んで
 わだばゴッホになるとわめいた
 ゴッホになろうとして上京した青
       年は然し
 ゴッホにはならずに
 世界の
 Munakataになった
 古希の彼はつないだ和紙で鉢巻きをし
 板にすれすれ独眼の
 そして近視の眼鏡をぎらつかせ
 彫る
 棟方志功を彫りつける

棟方志功記念館 棟方志功記念館
=二菩薩釈迦十大弟子=

羅須地人館

羅須地人館

羅須地人館

<<羅須地人協会>>
羅須地人協会とは、大正15年(1926年)に、宮沢賢治が花巻市に設立した私塾である。 この建物は、その目的で使用された宮沢家の住宅である。

建物内には、住居として使用された部分や、集会所として使用されて部分が見学できる。

以前はここから1,5kmほど離れた場所にあったが、花巻農業高校の敷地内に移設されている。

「羅須」とはどんな意味があるのか、諸説あるようだが、確定的なものはない。 特に意味がないような感じでもある。

羅須地人館


宮沢賢治記念館

宮沢賢治記念館

<<桜地人館>>
羅須地人協会が当時あった場所には、「雨ニモマケズ」の詩碑が建っている。

丘の下には、有名な「下の畑」が見える。

「雨ニモマケズ」の詩碑に書かれた文字があまり見えなかった。
桜地人館


光の加減なのだろうか。 前回来た時のものは、写真にもしっかり写っていたのだが、心配なことだ。

宮沢賢治記念館

宮沢賢治記念館

<<宮沢賢治記念館>>
外せない場所。 残念なことに、「雨ニモマケズ」が書かれている手帳がなかった。 ちょっと期待していたので残念。

宮守川橋梁
<<宮守川橋梁>>
初代の橋は、大正4年(1915年)の竣工。 現在の橋は、昭和18年(1943年)の完成。 初代の橋桁の一部が、現在まで残されている。

初代の橋は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったと言われる。

続石

続石

<<続石>>
ちょっと山登りは疲れるのだけど、続石だけは、不思議に何度でも見たくなる石である。

国道わきの駐車場に車を入れ、緩やかな山道を10分ほど。 丘の上に巨大な石が見えてくる。

二つ並んだ台石の上に大きな笠石が乗っている。 笠石の大きさは、おおよそ、幅7mm、 奥行5m、厚さ2m。 近づくと見上げるばかりの大きさである。

でも驚くのはこれから。 台石の高さが微妙に異なるため、笠石は一方の台石の上にしかのっていない。 実に、不思議な光景である。

伝承園

伝承園
<<伝承園>>
ここも欠かせない。 伝承園のおしら様。

菊池家の曲り家。 入り口を入ると、厩や台所があり、板の間に上がると、居間や仏間、寝室などが続く。

裏手にあるおしら堂へは、中廊下が続いており、聖なる場所へ誘っている。

伝承園


おしら堂にかかっているものの中には、真新しいものもある。

伝承園
<<伝承園:金勢様>>


常堅寺

<<常堅寺>>
伝承園から歩いてすぐ、カッパ淵へはこのお寺を通っていく。

閻魔堂があり、その狛犬の頭がくぼんでいて、カッパのように見える。



常堅寺


常堅寺


カッパ淵

カッパ淵
<<カッパ淵>>
常堅寺の裏にある、何てことの無い、昔懐かしい小川である。

卯子酉神社

<<卯子酉神社>>
恋愛成就の神として知られる。

祠の前にある木々の枝に、左手だけで赤い布を結びつけることができたら、縁が結ばれると言われている。