2023年9月15日 いくつか鍾乳洞を見てきた。秋芳洞は、その中でも一番有名なところ。 近くまで来て、寄らない手はない。 ただ、「どれほどのものか」といった感じがあったことも否めない。 幸いなことにか、あいにくなのか、雨が降っている。 でも、鍾乳洞の中は関係ない。 |
![]() <<秋芳洞:百枚皿付近>> |
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<<別府弁天池>> 別府弁天池は、別府厳島神社の境内にある湧水池で、名水百選にも選ばれている。 池の北西にある花尾山から流れ出る地下水が、断層沿いに湧き出ていると言われる。 昔、水不足に悩む長者が、夢のお告げ通りに弁財天を勧請すると、水が湧き出したという伝説がある。 周囲40m、水深4m、水温14℃、湧出量は毎秒186リットル。 雨のせいか、うっすらともやがかかって、有限の雰囲気を醸し出している。 池の明るいターコイズブルーは、この世のものとも思えない。 | ||||||
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<<秋芳洞:入り口>> 秋芳洞に向かう商店街。 シャッターを閉じている店が多い。雨で、平日だと、こうなるのだろうか。
入り口の改札を通ると、短い道があり、橋を渡って、まさに洞窟の中に入っていく。 | ||||||
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<<秋芳洞:長淵>> 入り口に比して、内部は異様に大きい(天井が高く幅も広い)。
遊歩道は広く、平坦で歩きやすい。 まず、そのスケール感にびっくり。 今までの、どの鍾乳洞にもないスケールだと感じた。 | ||||||
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<<秋芳洞:百枚皿>> 秋芳洞の代表的な景勝地。 大規模な石灰華段丘で、百枚田というものの、田んぼの数は、500枚以上になるという。 遊歩道の長さは約1km、総延長は10.3kmまで確認されているという。 洞窟の存在は、先の寿円禅師のころ(14世紀)から知られていたが、観光用の鍾乳洞として整備されるのは20世紀以降となる。 | ||||||
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<<秋芳洞:すぼ柿付近>> 大正15年(1926年)、当時の皇太子(昭和天皇)が、当地に行啓し「秋芳洞」と命名されたという。 なお、読みは「あきよしどう」が正しいらしい。 元々、この付近は秋吉村と言っていたということで、漢字だけ変えたらしい。 なお、後に周辺町村と合併した際には「秋芳町(しゅうほうちょう)」としたという。 ちなみに現在は、美祢市となっている。 | ||||||
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<<秋芳洞:千町田>> 百枚田と同じく石灰華段丘で、一枚当たりの大きさは、百枚田よりも大きい。 | ||||||
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<<秋芳洞:傘づくし>> 千町田をすぎると上り坂となる。 天井が近くなる。 振り返ると千町田が広がり、天井からはつらら石が何本も垂れ下がっている。 広大な空間で、千畳敷とも呼ばれる。 | ||||||
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<<秋芳洞:大黒柱>> つらら石(鍾乳石)と石筍が繋がった石柱。 | ||||||
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<<秋芳洞:黒谷支道への分かれ道>> | ||||||
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<<秋芳洞:つらら石と石筍>> あと少しで石柱になる。 けど、何年かかるんだろう? | ||||||
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<<秋芳洞:黄金柱>> 黒谷支道に入ってすぐ、秋芳洞のシンボル的存在の黄金柱が圧倒する。 高さは15m、幅4mの石灰華柱である。 石灰華柱とは、石柱と似ているが、滝のような流れが壁などに付着して堆積し、柱状に成長したものたものらしい。 | ||||||
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<<秋芳洞:巌窟王>> 巨大な石筍。 | ||||||
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<<秋吉台>> 秋芳洞の上には秋吉台が広がっている。 なだらかな大地に、木が少ない。一面の草原が広がっている。 天候も相まって、何にも見えなかった阿蘇の草原をもいだす。 この後、瑠璃光寺の五重の塔を拝みに行く予定だったのだが、解体修理中ということで、ホテルに直行。 |