2024年2月22日
 3連休でお出かけの予定を立てる。定番の温泉と言うことで、草津か伊香保を探したのだが、時すでに遅く満員状態。 ならば、一日前倒しで前日を探し、伊香保で石段そばのお手頃ホテルを見つけることができた。
 もう一泊は、連休中ということもあり、お手頃感だけで探し、想定以上のホテルが見つかった。 心配なのはこの季節の雪だけという状態で、楽しみいっぱいでその日を待つことに。

草津温泉湯畑
<<伊香保温泉:河鹿橋>>

片岡鶴太郎美術館

<<片岡鶴太郎美術館>>
宿は伊香保だが、まずは草津温泉に。 心配していた雪が降っているが、大降りになる気配はない。 湯畑近くの観光駐車場に難なく停めることができた。

湯畑から、湯滝通り、西の河原通りを抜けて5分少しで、かねてから行きたいと思っていた、片岡鶴太郎美術館に到着。

鶴太郎の絵は、独特の画風・書体で、引き付けられる。 形などこだわらず、力いっぱい書くのがいいんだよと、教えてくれているようだ。

片岡鶴太郎美術館
鷹は死すとも
穂をつまず
片岡鶴太郎美術館
たたかれても
ほされても
味を出す
片岡鶴太郎美術館
片岡鶴太郎美術館
片岡鶴太郎美術館
片岡鶴太郎美術館

 がまぐち
毎年 お正月が来ると思い出すの
当時 小学生だった倅が
納豆売りをして買ってくれた
大きながまぐち
母ちゃんへ お年玉だよって
私に贈ってくれたの
かじかんだ小さな手



吐く息の白さ
弾けるような笑顔
私は忘れない
がまぐちは今でも私の宝物
お金は貯まらなかったけれど
やさしさは
今でもたくさん入っている

片岡鶴太郎美術館

 幸せ
今週は
看護師さんにお風呂に
入れてもらいました
倅の風邪がなおって
二人でカレーを
食べました



嫁が歯医者にに
連れて行ったくれました
何て幸せな
日の連続でしょう
手鏡のなかの私が
輝いています

片岡鶴太郎美術館

 くじけないで
ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
 平等に
  見られるのよ



私 辛いことが
あったけれど
生きていて
 よかった
あなたも
 くじけずに

片岡鶴太郎美術館


上の3編の詩は、90才を過ぎて詩作を始め、100歳の詩人と呼ばれた、柴田トヨさんの詩をもとに、 鶴太郎が絵と字を描いたものである。

片岡鶴太郎美術館は各地(草津、山中、福島、伊万里)にあり、その雰囲気を味わうことができる。

草津温泉

草津温泉
<<草津温泉:湯畑>>
草津温泉の名物、湯畑。

連休を外して訪れたのだが、若者であふれていた。 大学の春休み出来たのだろうか、雪模様にもかかわらず思いのほかの混雑にびっくり。 時間はまだお昼前なので、前日泊ったのか、今日泊るのか、日帰りかとか、いろいろと考えてしまう。 余計なお世話だけど。

3連休の期間中にはどうなるのだろうか。

草津温泉
<<草津温泉:湯畑ごしの熱の湯>>
湯畑の向こうに見える小ぶりの建物が、草津温泉名物の、湯もみが行われる「熱の湯」。

草津温泉

<<草津温泉:地蔵の湯>>
湯畑の裏に回り、共同浴場である地蔵の湯にまわる。 奥の建物が共同浴場、手前には足湯があったが、若者がたむろしていたので遠慮する。

足湯の奥には、地蔵の湯の源泉があり、直接見ることができる。

八ッ場ダム
<<川原湯不動堂>>
八ッ場ダムの建設に伴い、湖底に沈んだ川原湯不動尊は、新しく建設された不動大橋のたもとに鎮座している。 元々の建物は、灯篭の刻名から江戸時代中期にはあったとされ、平成24年(2012年)に現在地に移された。

八ッ場ダム

<<不動の滝>>
不動堂から、少し橋を進むと、不動滝が見えてくる。 進むにつれて、上の方まで見えてきて、思った以上の迫力のある滝になる。 3段の滝で、高さ90mだという。

八ッ場ダム

八ッ場ダム
<<八ッ場湖>>
八ッ場ダムの建設により出来上がった八ッ場湖。 前回行ったとき(2012年)はまだ建設中で、吾妻渓谷の紅葉を楽しんだものだった。

正式には「八ッ場あがつま湖」というらしい。

八ッ場ダム

<<八ッ場ダム>>
今回は上から。下にも行けるらしいが、今回は時間がなかったので寄ることはできなかった。

ダム堤高116m、堤長291m。

吾妻渓谷

吾妻渓谷
<<吾妻渓谷>>
こちらも、お久しぶりの吾妻渓谷。 前回は紅葉の季節で、車の道も反対側の崖沿いだったので、初めての場所のよう。

季節外れと言うことで、他の車もなく、閑散としていた。 川岸まで下りることもなく、橋までの往復。

ダム湖もここの渓流も、青みがかったきれいな色をしている。 考えてみれば、奥四万湖から四万川、我妻川を経て、流れて来ている。 四万ブルーがここまで影響しているのかと思う。

天気が良ければ、もっと青みがきれいに見えるのにと、少し残念に思う。


左側の滝は、白絹の滝と言う。落差25m。

吾妻渓谷

<<吾妻渓谷:猿橋>>
平成29年(2017年)の再建。 江戸時代から大正時代にかけて同名の橋が実在していた。 見ての通り、方刎橋(かたはねばし)という独特の形状をしている。

伊香保温泉

伊香保温泉
<<伊香保温泉:河鹿橋>>
伊香保温泉へ。 先に、河鹿橋を訪れる。

降ったばかりの雪が枝に残っており、桜の満開のような景色に見える。

本来は紅葉の名所とのこと。 でも、駐車場は狭いので、温泉街から歩いてくる方が良いのかも。

朱塗りの橋が景色に映えて美しい。 「千と千尋の神隠し」に登場する、油屋の前にある赤い吊り橋のモデルと言われている。

伊香保温泉

<<伊香保温泉:飲泉所>>
河鹿橋のそばに、飲泉所があり、温泉を飲むことができる。

さらに先に行くと、公衆浴場の露天風呂があるそうだ。

伊香保温泉


伊香保温泉

伊香保温泉

伊香保温泉

<<伊香保温泉:伊香保神社>>
ホテルにチェックインした後に石段街に行く。

石段の一番高いところに、伊香保神社がある。

祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこのみこと)。 温泉・医療の神様と言われる。

社伝によれば、第11代垂仁天皇の時代の創建とされるが、 記録に現れるのは続日本後記が初出で、承和2年(835年)明神大社に列している。


奥さんは御朱印が欲しかったのだが、社務所は休日の朝九時からしか開かないということで、 翌朝もう一回来ることになった。 おかげで、雪景色も拝むことができた。


なお、神社への石段の中ほどにある松月堂は、温泉饅頭発祥の店と言われる。 明治43年(1910年)のことで、現在も「湯の花まんじゅう」として販売されている。

伊香保温泉

伊香保温泉

<<伊香保温泉:石段街入口>>

伊香保温泉名物の石段街。

石段ができたのは、戦国時代、天正4年(1576年)頃と言われる。 長篠の合戦に敗れた武田勝頼が、多くの負傷兵の傷をいやすため、 源泉を効率よく多くの宿に流すために、真田昌幸に命じて作らせたという。



伊香保温泉
全部で365段ある。

伊香保温泉
<<伊香保温泉:ハワイ公使館>>
駐日ハワイ王国弁理公使ロバート・アーウィンが夏季に別荘として利用していた建物。

明治30年(1897年)頃のガイドブックに記録が残る。 平成25年(2013年)に移築改修され、一般公開に至る。

伊香保温泉
<<伊香保温泉:口留番所>>
口留番所は、佐渡金山から金鉱石を運搬した三国街道の脇往還である伊香保道を固める目的で設置された。 明治維新で廃止されるまで、240年近く、往来の人々を監視し、関所としての役割を果たしていた。

伊香保温泉

<<伊香保温泉:石段の湯>>
石段街にある共同浴場。
昭和57年(1982年)の創業。

伊香保温泉

伊香保温泉
<<伊香保温泉:石段街>>
石段の真ん中を源泉が流れている。

小間口と呼ばれる引湯口から、石段の両脇の旅館に分けられている。

小間口から採取される湯量は一定に制限されており、現在その権利を持っているのは、 以下のホテルに限られている。

 ホテル木暮
 千明仁泉亭
 岸権旅館
 森秋旅館
 横手館
 伊香保グランドホテル
 金太夫
 古久家
 塚越屋七兵衛
 香雲館

伊香保温泉

石段に与謝野晶子の死が刻まれている。

「伊香保の街」
榛名山の一角に、段また段をなして、
 羅馬時代の野外劇場の如く
斜めに刻み附けられた、桟敷形の伊香保の街、
 屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
全てが温泉宿である。そして榛の若葉の光が、
 柔かい緑で、街全体を濡らしている。
街を縦に貫く本道は、雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで
Hの字を無数に積み上げて、
 殊更に建築家と絵師とを喜ばせる。