2024年5月17日 久しぶりに一人でお出かけ。といいつつも、午前中は用事があるので、午後出発の一泊二日。 ドライブ中心の、倹約旅行なり。 1日目は平日なので、高速道路を使わずに、道の駅をたどって、大内宿経由で白河まで。 2日目は、お最近人気のある大谷資料館と笠間稲荷を訪れて、戻ってくることにした。 |
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<<大内宿>> 大内宿はほぼ20年ぶり、前回は2005年に訪れている。 そして、トップの写真は前回と同じ。やはりこの構図しかないよな。 5月とはいいながら、夏のような陽気に恵まれる。 駐車場も整備され、ちょうど団体さんが到着して、人出も多い。 大内宿は、江戸時代に、会津地方と日光今市を結ぶ、会津西街道(別称:下野街道)の宿場町として栄えたところである。 明治以降、主要な交通道路から外れたため、山間の集落が当時の面影のままに、取り残されることになったらしい。 伊達政宗が小田原参陣の際にこの道を通るつもりだったとか、豊臣秀吉が奥州始末の後で通ったとか、 幕末には、土方歳三が宇都宮城から会津に向かう際に通ったとか、いろいろと歴史がある町ではある。 現在は、会津若松城(鶴ヶ城)から日光市今市まで、国道121号が南北をほぼ一直線につないでいる。 茅葺屋根の民家が街道沿いに妻を並べ、重要伝統的建造物群保存地区とされている。 |
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突き当りの小高い丘を登ると、大内宿を一望できる絶好の撮影スポットがある。 みんな、ここからの景色を見るために、急な石段を登ってくる。 |
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<<大内宿:子安観音堂>> 丘に登る石段の先には、子安観音堂。 |
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<<大内宿:正法寺>> 突き当り向かって左側の高台にある。 創建は室町時代後期の天正3年(1575年)。 |
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<<大内宿:下郷町街並展示館>> 旧本陣跡。 同じ街道にある糸沢宿、川島宿の本陣を参考に設計し、昭和59年(1984年)に復元された。 |