2024年11月2日
 前日は、かろうじて雨から逃れることができた。今日はそういうわけにはいかないだろうと、気を引き締める。 予定では、和歌山から五条を経由して吉野に抜け、壺阪経由で飛鳥に入ることになっている。どうなることやら。

壷阪寺
<<壷阪寺:三重塔初層内陣>>

金峯山寺
<<金峯山寺:黒門>>
吉野はまだ曇り空。でも、傘は手離せない。 観光駐車場に車を停め、参道の坂を上る。

金峯山寺の総門であり、吉野山上の塔頭寺院群の総門でもある。
昭和60年(1985年)の再建。

金峯山寺

<<金峯山寺:銅の鳥居>>
「かねのとりい」と読む。 吉野から大峯山(山上ヶ岳)までの修行道にある四門の最初にあたり、発心門と称される。

現存する鳥居は、室町時代の再興で、銅製の鳥居としては、現存最古である。
高さ8.2m、柱間7.4m、柱径1.1m。
重要文化財。

柱が太く見え、どっしりとした感じがする。

金峯山寺

金峯山寺

金峯山寺

<<金峯山寺:蔵王堂>>
仁王門は、解体修理中で、見ることができず。 金剛力士像は、奈良国立博に出張中。

仁王門は北が正面になっており、京をはじめ、北側から訪れる人々を迎える門である。 しかし、蔵王堂の正面は南を向いている。

結局、仁王門を迂回し、大回りして、南側から蔵王堂前に出た。

蔵王堂は幾たびか焼失と再建を繰り返している。


金峯山寺
=愛染堂=
(愛染明王)
現在の建物は、天正20年(1592年)の再建である。
国宝。


本尊の蔵王権現の巨大な立像が公開されている。 8m近くの圧倒される大きさを、間近で見ることができる。

金峯山寺

<<金峯山寺:蔵王堂の扁額>>


壷阪寺
<<壷阪寺:仁王門>>
正式には、壺阪山南法華寺という。
西国三十三カ所第6番札所。

大宝3年(703年)に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行中に、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、 感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。

平安期には、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに定額寺に列せられた。

壷阪寺
<<壷阪寺:大釈迦如来石像>>
壷阪寺の名を一躍高めたのは、明治の初めに演じられた人形浄瑠璃「壺阪霊験記」によるところが大きい。

盲目の夫沢市とその妻お里の物語で、 お互いを思いやるがゆえに生じた悲劇を、壺阪寺の本尊である十一面観音が救済する話である。

壷阪寺

<<壷阪寺:多宝塔>>
平成14年(2002年)落慶。

壷阪寺
<<壷阪寺:礼堂>>
室町中期以降の再建。江戸時代に大規模改修されていたものを、昭和の修理時に室町時代当時の状態に復元した。
重要文化財。

本尊の十一面千手観音が拝観可能で、間近に寄ってお身ぬぐいができる。



壷阪寺

壷阪寺

<<壷阪寺:三重塔>>
明応6年(1497年)再建。重要文化財。

お身ぬぐいを終えて、外に出てくると、雨が一段と激しくなり、傘が役に立たないほど。

まだ日が高いのに、夕暮れと見まごうばかり暗くなってきた。

そんな中、三重塔初層の扉が開いていて、光に包まれた大日如来が見えた。


壷阪寺
=初層内陣=
(大日如来)

壷阪寺から飛鳥に向かう道が、大雨で大変。 山道なので、脇を川が流れているような感じで雨が流れて行った。

万葉文化館

<<万葉文化館>>
万葉文化館で「富本銭」を見る。

近くには、酒船石や亀形石造物があるのだが、雨の影響で見ることが叶わず。 今日はここまで。